2025年9月30日火曜日

『助動詞』が、「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」します : 英語は実はかなりシンプル(7)

 『主語』は「時間の流れ」の”中”にいて(あって)、

done、doing、to do は、「時間の流れ」の”外”にありますから、

done、doing、 to do は、

そのままでは、『主語』に接続することが出来ません。つまり、

そのままでは、『主語』の V「うごき」を表すことは出来ません。


 そこに登場するのが『助動詞』で、

『助動詞・人称形』は、

「時間の流れ」の”中”にあって『主語』に接続し、

「時間の流れ」の”岸”を超えて done、doing、to do にも接続して、

「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」します。



(1) done の場合は、


* 『過去分詞』done は、

「これまで」に「~という動き、をおこなってしまった、おこなったことがある」、

という内容なので、

「”これまで”の”実績”」ということになり、


日本語での

「~をした実績が”ある”、実績を”持っている”」という発想と同様に、

『主語』と done を「橋渡し」する『助動詞』は、

have ということになります。



* 『他動詞』の場合は、


       **     動きの”主体”が、「これまで」に「~という動きをしてしまった」 

    反映として、

       **     その動きを受ける側(”目的語”側)は、

   「いま」、その結果として「~ されてしまっている”状態”」

   にあるので、


『主語』=「いま、~ されてしまっている”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be ということになります。



* 『自動詞』の場合は、

たとえば go「行く」の場合、

『過去分詞』gone では、


    **    「これまで」に「行ってしまった」という動き、が「完了」し、

    **     「いま」、その「結果」としての「いない」という”状態”、が発生しているので、


  『主語』=「いま、いない、という”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be ということになります。



(2)doing の場合は、


『現在分詞』doing は、

「いま」、「~という動き、をおこなっている、おこないつつある”状態”」、

という内容なので、


『主語』=「~という動き、をおこなっている、おこないつつある”状態”」

の”=”に当たる『助動詞』は、

be です。



(3)to do の場合は、


『不定詞』to do は、

「これから」、「~という動きをしようとしている”状態”」、

という内容なので、


『主語』=「これから、~という動きをしようとしている”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be です。



このように、

done、doing、to do  は、

「これまで」、「いま」、「これから」という、

それぞれの時間域の V「うごき」をつくり、

そららのV「うごき」が連動して、

結果的に、

連続する時間のすべてをカヴァーしています。

2025年9月29日月曜日

done・doing・to do は、どれも、『名詞』、『形容詞』、『副詞』のように働きます:英語は実はかなりシンプル(6)

  『文型』に使われる品詞の種類は

『動詞・人称形』、『名詞』、『形容詞」、の3種です。

これだけで、どの文型の文も作れます。


 さらに、文型の要素ではありませんが、『名詞』”以外”を説明する

『副詞』が加わって、


『文』を作るのに必要な品詞は、

『動詞・人称形』、『名詞』、『形容詞』、『副詞』の4種です。


* ここで、

done、doing、to do は、

「時間の流れ」の”外”にあり、

『主語』は、「時間の流れ」の”中”にあるので、 

do、doing、to do は、(そのままでは、)

『主語』に接続できません。つまり、

done、doing、to do は、

『動詞・人称形』ではありません!


 したがって、 

done、doing、to do は、

『動詞・人称形』以外の、

『名詞』、『形容詞』、『副詞』として機能します!!



(1) もっとも馴染みがあるのは、

to do の、

『名詞的用法』、『形容詞的用法』、『副詞的用法』ですが、

次のような用法も、to do の『形容詞』のような用法と考えられ、


*    Neal Armstrong was to become the first human to set foot on the Moon.

  「二―ル・アームストロングは、月に足を下ろす最初の人間になる運命だった」では、

Neal Armstrong = to become「これから ~ になる」・・・ という関係で

(was は『助動詞』)、

to become が、

 Neal Armstrong は、「これから月に足を下ろす最初の人間になろうとする」、

 と説明するので、

to become は、『形容詞』のように機能しています。


 to set・・・は、the first man に付いて、説明しているので、

やはり、『形容詞』としての機能です。



(2) doing の『名詞的用法』が

『動名詞』で、

さらに、


* He is singing on the stage. (『進行形』)では、

  「彼は、ステージで歌っている」では、

He = singing・・・

という関係で He を説明しているので、

doing は『形容詞』のように働いており、


* He rode his bicycle along the river, singing loudly.

「彼は、大声で歌いながら、彼の自転車を川に沿って走らせた」では、

rode を、「並行して発生している動き」として

『副詞』のように説明しており(『分詞構文』)、



(3) done は、

「これまで」におこなってきた動き、

なので、

「~をしてきた、~したことがある」という

「実績」であり、


* Humans have landed on the Moon.

「人類は、月に着陸したことがある」は、

「『現在』にいる人類は、月に着陸したという”実績”を”持っている”」

という内容で(『現在完了形』)、

この場合、

『過去分詞』landed は、

『助動詞』have の『目的語』のような立場なので、

done の『名詞』としての機能であり、 


* 『他動詞』の場合は、

たとえば write「書く」の『過去分詞』は、


** 主語側が、「これまで」の時間域で「書いてしまった」とき、

** 目的語側は、その結果、「いま」の時間域で、「書かれてしまっている」という”状態”になり、


* "Blue Highway" was written by William Least Heat-Moon.

「”ブルー・ハイウェイ”は、ウィリアム・リースト・ヒート=ムーンによって書かれた」

では、

Blue Highway = written・・・ の関係で、Blue Highways を、

『形容詞』のように説明しています(『受動態』)( was は『助動詞』)。


* The asteroid probe Hayabusa returned to Earth, watched over by many people.

「小惑星探査機はやぶさは、大勢の人々に見守られて、地球に帰還した」では、

句他動詞・watched over 「見守る」は、


** 主語側は、「これまで」に「見守ってしまった、見守ってきた」

** 目的語側は、その結果、「いま」は「見守られている」 

という内容になり、

『受動』のニュアンスの「見守られている」が、

returned を『副詞』のように説明しています。(『分詞構文』)


 『分詞構文』は、『現在分詞』、『過去分詞』の

『副詞的用法」という見方も出来ます。





2025年9月26日金曜日

done・doing・to do は”見えません”-----現在形・過去形は”見えます”が: 英語は実はかなりシンプル(5)

 done『過去分詞』、doing『現在分詞』、to do『不定詞』が、

『主語』の V「うごき」を表すには、

『主語』に接続しなければなりません。


ところが、done、 doing、 to do は、

「時間の流れ」の”外”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』には、

そのままでは接続できません。


『動詞・現在形』do (does)、『動詞・過去形』did は、

「時間の流れ」の”中”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』に、そのままで接続します。


 この事情を”可視化”するために、

これらの「動き」( V「うごき」の"素<もと>" )を、

「ボール」にたとえてみます。 


「時間の流れ」を「川の流れ」にたとえると、

『現在』は、そのうちの ”a地点 ~ b地点” の範囲で、

『主語』は a地点にいて、ゴムボート( スピードは出ませんが、流れるだけなので)に乗って、浮かんでいます。

『主語』の隣にボール(ヨガボールなら直径45センチくらい。もちろんサッカーボールでもかまいません)が浮いています。

ゴムボートは、『主語』を乗せて流れ、

ボールも流れます。

同じ流れに浮かんでいるので、流れる速さは同じです。

したがって、『主語』には、ボールがどのくらいの速さで流れているか、わかりません。


『動詞・現在形』は、

元々は、「時間の流れ」の外にあった『動詞・原形』ですが、

「時間の流れ」の『現在』の領域に来て『動詞・現在形』になり、

『主語』がボールに手を載せて、『主語』とボールが繋がって、ボールは『主語』の V「うごき」になります。


『動詞・現在形』が、ボールとして実体化しているのは、

「実現可能性」がある範囲で、b 地点までです。

b地点を超えると、実現可能かどうかわからなくなり、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・現在形』will によって推測することになります。)


『過去』も、”a地点 ~ b地点” が、「時間の流れ」の上流へ移動するだけで、

他は同じです。

「実現可能性」がある間は、ボールが実体化していますが、

b地点を超えると、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・過去形』would によって推測します。)


 ここまでは、ボールは、『主語』から見えていて、V「うごき」として使う場合は、

ボールに手を載せて、繋がります。


 ところが、done、doing、to do のボールは、

「時間の流れ」の上にいる『主語』からは見えません。

「川の流れ」と違って、「時間の流れ」では、

『主語』の上流側にも下流側にも、ゴムボートの前後にスクリーンが取り付けられているようなもので、

スクリーンが『主語』と共に移動して、

「これまで」の領域も「これから」の領域も、見せてくれないからです。


したがって、

「これから」を流れ下るボールも、

「いま」を流れているボールも(ボールの速さは、『主語』にはわかりません)、

「これから」を流れ下るボールも、

「時間の流れ」の”外”(『時間の流れ』の”岸”の上)から見ることになります。

そこには、スクリーンが無いからです。


『主語』は、done も doingも todo も、直接に見ることができませんから、

まして、『動詞・現在形』、『動詞・過去形』の場合のように、

『主語』が、直接に手を載せて、繋がって V「うごき」にすることもできません。


 このように、「動き」を表すボールにも、『主語』から、

「見えるボール」と「見えないボール」があります。


 したがって、『主語』が done、doing、to do に接続して V「うごき」にするには、

何らかの方法で、

『主語』と done、doing、to do のボールが、繋がらなければなりません。


done・doing・to do は、「これまで」「いま」「これから」をつなぐリレー選手: 英語は実はかなりシンプル(4)

 『主語』の「うごき」V を表すには、

「うごき」を表す『動詞』が、『主語』に接続しなければなりません。


『主語』は、「時間の流れ」の中にいます(あります)。


『主語』に接続しなければならないので、

別稿で紹介した

 will have been being searched 

のような長い『動詞』でも、

先頭の『助動詞』will は、『主語』に接続しなければなりませんから、

「時間の流れ」の中になければなりません。( 助動詞の人称形  /  この場合は現在形 )


『主語』は「時間の流れ」の中の『現在』か『過去』にいます(あります)が、

『現在』、『過去』は、「時間の流れ」の中の

「位置」

です。


『現在』と『過去』という「位置」だけなら、

英語はかなり簡単なのですが、そのかわり、

「~する」あるいは「~した」という「うごき」しか表現しかできません。


ある時点(現在、過去、そして未来も)を起点にして、

「これまで」、「いま」、「これから」という、

時間の「方向」が加わると、

「時間の流れ」の

* 上流を見て、「(これまで)~してきている、したことがある」、

* 目の前の流れ(瀬)を見て、「(いま)~している」、

* 下流を見て、「(これから)~することになっている」

という、

「時間の方向」のニュアンスを表現することができます


『動詞・原形』do に対して、

*「(これまでに)~してきている、したことがある」という動きが 

done (『過去分詞』)、

*「(いま)~している、しつつある」という動きが、

doing(『現在分詞』)、               ( 『動名詞』もありますが、別に扱います)

*「(これから)~することになっている」という動きが、

to do(『不定詞』です)です。

( to do の to は、"Humans went to the Moon in 1969."「人類は、1969年に月へ行った」

 の to と同じで、to do は、「いずれ do にたどり着く」という内容です。)


done、 doing、 to do は、 

stay なら、

* stayed で、「(これまで)滞在してきている、滞在したことがある」、

* staying で、「(いま)滞在している」、

* to stay で、「(これから)滞在することになっている」

という、

或る時間域(『過去』、『現在』、『未来』)から見ての、

* 「時間の流れ」の”上流”、

* 「時間の流れ」の”瀬(目の前の流れ)”、

* 「時間の流れ」の”下流”

の動きを表現できます。


 英語の V「うごき」が複雑になるのは、

*「時間の流れ」の中の「位置」(『主語』のいる『現在』と『過去』)、

さらに、(『主語』は『未来』にはいないのですが、)『未来』にあたる「位置」、

*「時間の流れ」の「方向」(上流の方、目の前、下流の方)

とが組み合わされるからです。


 『未来』には『主語』はいないので、『動詞・未来形』はありませんが、

たとえば『現在』において、

『助動詞・現在形』will によって未来を推測し、

その『未来』を起点にして「これまで」を振り返れば、

He will have finished the work by 6 p.m.

「彼は、午後6時までには、その仕事を終えてしまっているだろう」

という表現ができます。


 このように、do から派生した 

do、doing、to do は、

ある時間域( 『過去』、『現在』、『未来』)から見える

「これまで」、「いま」、「これから」という「時間の方向」を、

リレーの選手のように担当しています。






2025年9月23日火曜日

動詞・”人称形” は「時間」の”中”に、動詞・”原形” は「時間」の”外”に: 英語は実はかなりシンプル(3) 

 『動詞・人称形』は、『主語』に接続します。


『主語』は、「時間の流れ」の中にいます(あります)。


『主語』は、「時間の流れ」のなかの、『現在』か『過去』にいます(あります)。

 

そこで、

『現在』にいる『主語』には『動詞・現在形』、

『過去』にいる『主語』には「動詞・過去形』

が接続します。


 ただ、『動詞・未来形』はありません!

なぜなら、『主語』は、『未来』にはいないからです!


 Humans will go to Mars someday.「 人類は、いつか、火星へ行くだろう」

の will go は、「未来の動詞」ですが、

will は「推測(未来)の助動詞」の『現在形』!

で、

主語は『現在』にいます!


『現在』にいる主語が、

「先の時間域(未来)において、go が実現するだろう」

と推測しています。


 will go は、『主語』Humans に接続していますが、

Humans に直接に接続詞しているのは will で、

go が直接に接続している相手は、will です。

 つまり、この go は、『主語』に接続していないので、

『動詞・人称形』ではありません。


He said that humans would go to Mars some day.

「人類は、いつか、火星へ行くだろう、と彼は言った」

では、『過去』の話なので、will が『過去形』would になっていますが、

would に接続する go は、will go の場合と同じ go です。


 つまり、will go の go 、would go の go は、

一つのもので、

『現在』、『過去』という、『主語』がいる時間域の違いに関係なく、

『現在』、『過去』の、どちらにある『助動詞』とも接続します。


 したがって、この go は、「時間の流れ」の”外”にあって、

「時間の流れ」の”外”を自由に移動して、

『主語』のいる『現在』、『過去』の時間域にある『助動詞』に、

「時間の流れ」の”境界”(或いは、”岸”)を越えて接続します。


 つまり、『助動詞』(ここでは will ) は、

『主語』と一緒に「時間の流れ」の”中”にある時は、

『主語』に接続する( 『助動詞・人称形』として )と同時に、

「時間の流れ」の”外”の go にも接続して、

「時間の流れ」の”中”と”外”を"橋渡し”するという、

決定的に重要な機能を果たしています。


 別の見方をすると、

この go は、『主語』の無い動詞です。


 動詞・現在形、動詞・過去形は、

『現在』、『過去』にいる『主語』に接続して、その「うごき」を表しますが、

「時間の流れ」の”外”の go は、動詞ではあっても、『主語』に接続しない(できない)ので、

『主語』の「うごき」を表しません。


「時間の流れ」の”外”にあって、

『現在』、『過去』の時間域に対応する居場所が無く(決まっておらず)、

「時間の流れ」の”外”を浮遊している状態の動詞は、動詞の”原初形態”ということになり、

『動詞・原形』と言われます。


 繰り返しになりますが、

『動詞・原形』は、「時間の流れ」の”外”にあり、  

『主語』は、「時間の流れ」の”中”にいる(ある)ので、

『動詞・原形』は、(原則的には)『主語』に接続できません。


 つまり、『動詞・原形』が『主語』の「うごき」を表すことは(原則的には)ありません。

 しかし、

例外の一つに( 他に、『仮定法現在』 )、

『命令文』があって、


『命令文』は、普通は、相手 (You) に向かっての発言なので、

『主語』You は、分かり切っているので省かれる場合が多いのですが、

特に念を入れようと You を入れると、

"You be careful of wild animals." ( 通常は、”Be careful of wild animals.”)

「野生動物には、よくよく注意してくださいね」

(相手に強く注意を促すかんじ)


のようになり、

”命令”する「話者」が、

「時間の流れ」の”中”の You と、

「時間の流れ」の”外”の be ( 『be動詞・原形』 )を、

「話者」が強引に(?)繋いでしまっています。 





2025年9月16日火曜日

火星への旅(7) How to Get to Mars by Andrew May

 Destination Mars:  The Story of Our Quest to Conquer the Red Planet

    目的地は火星: 赤い惑星を征服しようとする私たちの探究の物語



          The reason delta-v is so important is that space travel is all about orbits, and an orbit is ultimately characterised by its velocity.

デルタV がとても重要な理由は、宇宙飛行は、すべてが軌道に関連しているからで、軌道は、究極的には、その速さ(速度)によって特徴づけられているのである。


To put a spacecraft into a desired orbit, or to match orbits with another object, it's not enough to get to a point in space -- you must be travelling at exactly the right speed, in the right direction, when you reach it.

宇宙船を、望まれている軌道に投入するためには、あるいは、(宇宙空間を移動している)別の物体(宇宙船、宇宙ステーション、衛星、惑星など)と軌道を合わせるためには、宇宙空間の(軌道上の)一点に到達するだけでは不十分であって---そこへ到達する時に、完全に正確なスピードで、正確な方向で、飛行していなければならない。


To understand this properly we need to get back to Isaac Newton, and the most famous of all his laws -- the law of gravity.

このことをきちんと理解するためには、アイザック・ニュートンにまで、そして、すべての彼の法則のなかでもっとも有名なもの---重力の法則---にまで、戻る必要がある。



  

英語が複雑そうに見えるのは、V が複雑になるから: 英語は実はかなりシンプル(2) 

先に、

 「もっとも V が複雑な英文 ---  英語は実はかなりシンプル(1)」

で例に挙げた、複雑そうに見える文は、じつは、 

The lost dog "will have been being searcher for" / for 24 hours / tomorrow noon.

                    S           V

のように、もっとも単純な文型 SV の文です。


 ただ、V「うごき」の部分が、複雑になっていて、


will [ (推測・未来の)助動詞 の現在形 ] + have [ (完了の)助動詞 の原形 ] 

     + been [ (受け身の)助動詞 be の過去分詞 ] + being [ (進行の)助動詞 be の現在分詞 ] +

     + searched for [ 句他動詞「~を探す」の過去分詞・受動 ]


のように、

一つの V「うごき」が、多くのパーツから出来ています。


それでも、will have been being searched for の全体が、一まとまりとなって、

主語 The lost cat に接続して、主語の V「うごき」になっています。


つまり、will have been being searched が、

一つの「受け身の進行の完了の未来の動詞」の「人称形」です。


* 動詞・人称形: 動詞・現在形が、主語の人称(自分、話し相手、第三者)によって形を変えるので、

ここでは、とくに、

「主語に接続する動詞」

という意味で、「動詞・人称形」という用語を用いています。

2025年9月14日日曜日

V が最も複雑な英文 The lost cat will have been being searched for / for 24 hours / tomorrow noon.: 英語は実はかなりシンプル(1)

The lost cat will have been being searched for for 24 hours tomorrow noon.

は、

 「その行方不明の猫は、明日の正午で、24時間、ずっと探されていることになります」

という内容ですが、

ちょっと複雑すぎて、実用的ではありません。

The lost cat "will have been searched for" for 24 hours tomorrow noon.

で、十分と思われます。

 これだと、

be searched for =「受け身の動詞」の『原形』

を出発点にして、

been searched for =「受け身の動詞」の『過去分詞』、


have が、助動詞will に接続しているので、have は「完了の助動詞」の『原形〛で、

have been searched for = 「受け身の完了の動詞」の『原形』

(   have +been searched for = have + 過去分詞、で、一般の完了と同じ )で、

will + have been searched for = 助動詞 will + 「受け身の完了の動詞」の〚原形』

で、

will do と、構造が同じです。


 最初の、「受け身の進行の完了の未来の動詞」は、

「探し”続けられ”ていることになるだろう」のように、”続けられ”というニュアンスを、特にはっきりさせる必要がある場合は別として、

そうでなければ、あえて使う必要は無いと思われますが、

一応、順を追って分解すると、

                              being searched for = 「受身の動詞」be searched for(原形)

                                                                                                                                              の『現在分詞』、

                   been being searched for =「受け身の進行の動詞」be being searched for(原形)

                                の『過去分詞』、

        have been being searched for =「受け身の進行の完了の動詞」の『原形』で、


will have been being searched for = will +(「受け身の進行の完了の動詞」)『動詞原形〛 

となって、

will do と、構造は同じです。



2025年9月11日木曜日

東アジア大陸: 南北異世界並立期のカオス的状況(16) China Between Empires by Mark Edward Lewis

Empires :   The Northern and Southern Dynasties 北朝と南朝


 ** The Rise of The Great Families   (12)

    豪族の勃興


   * The Han Collapse and the Rise of the Three Kingdoms   (2)   

    漢の崩壊と三王国の興隆   


          As the countryside grew increasingly disordered and violent due to wandering  peasant bands and nomad forces, the court lacked both the ties to local families to maintain peace and the military power to forcibly restore it.

  地方が、しだいに無秩序になり、かつ治安が悪化するにつれて   /   流浪する貧農層の集団と遊牧民【 漢帝国が、”夷を以て夷を制する”との方針で漢の領域内に移住させた遊牧民 】の勢力のために、//     朝廷は、地方の有力者たちとの繋がり{  平穏な状態を維持するための }と、軍事力{  平穏な状態を、力を以て回復するための }の、両方を欠いていた。


Each local community had to protect itself, which led to the creation of additional armed groups beyond imperial control.

それぞれの地域のコミュニティは、自らを守らなければならず、そのことは、さらなる武装グループ { 漢帝国のコントロールの及ばない }をつくり出す、という結果になった。 


More backward areas organized their defense around the kin ties that had defined the early Chinese village.

もっと後進的な地域は、血縁者の絆{ それは、初期の中国の村落の範囲を、それまで明確にしていた }を中心とした防御体制、を構築した。


In economically prosperous regions, defense forces took the form of tenants or dependents led by their landlords.

経済的に繫栄していた地域では、防衛力は、借地人(小作人)あるいは使用人・親族{ 彼らの地主に率いられた }のかたち、をとった。


And in certain areas, notably Sichuan and Shantong, peasants led by local eminences formed militarized religious societies that promised relief from famine, the healing of diseases, and a millennium of "Great Peace" that would either reform the Han or sweep it away.  

そして、或る地域、特に四川と山東、では、その土地の名望家に率いられた貧農層が、武装化された宗教的共同体を形成し、それは、飢餓からの救済、病気の平癒、そして、「太平」の千年 [ それは、漢帝国を改革するか、もしくは一掃するだろう ] 、を約束した。





2025年9月8日月曜日

Exoplanets 太陽系外惑星(23)  by Michael Summers & James Trefil ( Smithsonian Books ) 

 A Word about Chauvinisms   (4)


          Stellar chauvinism lies a little deeper in our subconscious.

  '( 惑星にとっては、) 恒星が必須であるという考え’ は、私たちの深層意識の、もう少し深いところにある。  


It is the idea that planets---at least planets capable of supporting life---have to be in orbit around stars.

それ ( stellar chauvinism ) は、惑星---少なくとも、生命を存在させ得る惑星---は、恒星の周りの軌道にある必要がある、という考え方である。


One of the great shocks in the search for exoplanets has been the dawning realization that most of the planets in our galaxy are 'not' attached to stars

太陽系外惑星を探す中での大きな衝撃の一つは、私たちの銀河系の中の惑星のほとんどが、恒星に属して’いない’ 、ということが、(夜が明けて来るように)次第に明らかになってきていることである。


We call these 'rogue planets' and imagine a visit to one in chapter 7.

私たちは、これらを’浮遊惑星’と呼び、第7章で、その一つへの訪問を想像する。


We discuss what kinds of life they might support inchapter 13.

それらが、どのような生命を、ひょっとすると存在させているのか、を、第13章で検討する。


          We don't know what other kinds of chauvinisms may be hidden in our minds, but recognizing the ones outlined above is a good way to start our journey through exoplanets both real and imaginary.

  他にどのような’或るものを必須とする考え’ が、私たちの頭の中に、ことによると隠されているのか、私たちにはわからないが、ここまでに概説されたものを心に留めておくことは、現実の、かつ想像上の太陽系外惑星をめぐる、私たちの旅を始めるための、良い方法である。

 



2025年9月7日日曜日

Exoplanets 太陽系外惑星(22) by Michael Summers & James Trefil ( Smithsonian Books )

 A Word about Chauvinisms   (3)



          Surface chauvinism is the idea that life has to exist on the surface of planets.

   '表面が必須であるという考え’ は、生命は惑星の表面に存在するはずである、という考え方である。


This is what lies behind the search for the Goldilocks planet, for example. 

たとえば、これは、ゴルディロックスの原理【 生物の発生には、暑すぎも寒すぎもしない、ちょうど良い温度が望ましい、という考え】に合っている惑星を探すことの背後にあるもの、である。


* Goldilocks principle 「ゴルディロックスの原理」

 Goldilocks and the Three Bears「ゴルディロックスと三頭のクマさん」という童話の中で、ゴルディロックスという名の小さな女の子が、森の中で三頭のクマさんが住んでいる家を見つけ、クマさんたちが出かけているので中に入ってみたところ、テーブルの上に三つの皿に入ったお粥があったので、味見をしたら、最初の一皿は熱すぎ、次の一皿は冷たすぎ、最後の一皿がほど良い温かさだった、ということから、生命は、ほど良い暖かさの惑星や衛星でなければ発生しない、という見解が、ゴルディロックス的な考えと呼ばれるようになりました。


Yet it is actually a strange notion for a terrestrial scientist to have.

しかし、それ ( surface chauvinism ) は、実際は、地球にい(て、地球を知ってい)る科学者が持つのは不思議な見方、である。


After all, we know that on our planet there are complex ecosystems at deep-sea vents, miles below the ocean surface. 

なんといっても、私たちは知っている  /  私たちの惑星には、海洋の水面の数マイル下の、深海の噴気孔に、複雑な生態系があること、を。


We also know that there is bacterial life in rocks miles below the surface of the continents----in fact, some biologists have argued that such organisms make up the majority of  Earth's biomass.

私たちは、また、知っている  /  大陸の表面の数マイル下の岩石層の中には、バクテリアを中心とする微生物的生命が存在する、と  /  ---事実、生物学者の中には、そのような生物が、地球のバイオマス(特定の地域に棲息する生物の総量)の大部分をつくっている、と主張してきている人々もいる。


Why should exoplanets be different?

なぜ、太陽系外惑星は違う、ということになるのだろうか?




2025年9月6日土曜日

Exoplanets 太陽系外惑星(21) by Michael Summers & James Trefil ( Smithsonian Books )

 A Word about Chauvinisms (2)



          Thinking about exoplanets, and particularly about the nature of life on those planets, is full of chauvinisms.  

  太陽系外惑星について、そして、特にそれらの惑星における生命の性質について、考えることは、(地球の)自分たちが必須とするもの、が、太陽系外惑星においても必須とされるはずである、という考え方、に満ちている。


The most common of these---carbon chauvinism---is the notion that life elsewhere must be based on carbon.

これら’或るものを必須とする考え方’の中の、もっとも一般的なもの---炭素を必須とする考え方---は、考え [ 他の場所の生命も、炭素に基盤が置かれているはずである、という ] である。


( For the record, both authors plead guilty to being carbon chauvinists, for reasons that will be explained later. )

( 一応お断りしておきますが、著者は二人とも、後に説明されるであろう理由で、炭素を必須とする考え方であると認めます。 )


There are, however, two other chauvinisms that, while widespread, are less well known.

しかし、二つの他の、’或るものを必須とする考え方’ [ それらは、行き渡ってはいるが、'炭素を必須とする考え方’ほどには、よく知られていない ] がある。


We call them "surface chauvinism" and "stellar chauvinism".

私たちは、それらを、”(惑星の)表面を必須とする考え方”と”(惑星が公転する)恒星を必須とする考え方”と呼んでいる。

 

 

2025年9月5日金曜日

The First and the Last(19) Adolf Galland スペイン内戦・第二次世界大戦時のドイツ空軍飛行士の手記

                                                                                                          ( Methuen & Co. Ltd,  London )


     Our armament and equipment were at that time relatively primitive. 

 私たちの兵器と装備は、その当時、かなり旧式だった。 


We flew mainly without radio:   it was regarded as a dispensable luxury, especially as it did not yet function very well, so we flew by sight and communicated by signs.

私たちは、たいていの場合、無線機を積まないで飛んでいた: 無線機が、無くても済む贅沢品と考えられていたのは、特に、無線機がまだあまり良く機能しなかったことが理由だったが、そのために、私たちは、目視で飛び、サインで意思疎通をしていた。


Our He 51s carried six 10-kg. splinter bombs inside the fuselage, and were armed with two machine guns, which had to be reloaded by hand after each burst---very different from the subsequent electro-pneumatic apparatus fired by press-button action---and on reloading you usually cut your knuckles open on one of the many obstacles in the unbelievably confined space of the overheated cockpit.

私たちのハインケル51は、10キログラムのスプリンター爆弾を六個、飛行機の胴体の中に携行していて、二挺の機関銃で武装されていたが、その機銃は、弾丸を撃ち尽くすたびに、手で装填されなければならなかった---後の電気・圧搾空気を用いた、ボタンを押して発射させる仕組みの機関銃とは、まったく違っていた---し、再装填するときは、たいてい、熱気のこもったコックピットの、信じられないほどに閉じ込められた空間の中で、多くの障害物によって、手の関節を、皮膚が裂けるほどに切った。


*    He 51:   Heinkel 51    複葉の戦闘機

* splinter bomb:      細かい破片を四散させる小型爆弾

* electro-pneumatic apparatus:    電気信号により、圧搾空気で機関銃が作動 

                ( 爆弾も、電気信号と圧搾空気で投下 )  

*   the unbelievably confined space of the overheated cockpit 

  He 51 は、多くの複葉機のように、( 新世代の単葉機のような、密閉型のコックピットではなく、)開放型のコックピットでしたが、BMW製の空冷12気筒エンジンの発熱量が多く、その熱が、すぐ後ろの操縦席へ吹き流され、しかも排気管が操縦席の近くにあったために高温の排気ガスが操縦席に流れ込み(後に、排気管の形状を変えて対応)、狭い操縦席には、かなりの熱気がこもったようです。


On hot days we flew in bathing trunks, and on returning from a sortie looked more like coalminers, dripping with sweat, smeared with oil and blackened by gunpowder smoke. 

暑い日には、私たちは水泳用トランクスを着て飛び、一度の出撃から帰って来たときは、汗を滴らせ、オイルで汚れ、火薬の煙で黒くなって、むしろ炭鉱夫のように見えた。





     




   

2025年9月3日水曜日

Strategy and Diplomacy 1870---1945 (20) 戦略と外交 by Paul Kennedy ( Fontana Press )

      On the other side of the political sprectrum was the'Right' or the 'Realists', again an unsatisfactory term but used here to describe those who felt that the idea of a world living in permanent harmony was utopian, that might rather than right had usually had more influence upon international affairs,  and that the government should not flinch from the use of armed force to defend national honour and interests.

  政治的スペクトルの反対側には、 存在した(V)  /  ’右派’あるいは’リアリスト’(S) が、  /  (’右派’、’リアリスト’は、)やはり不十分な用語だが、ここでは、それらの人々  [ 彼らは、感じていた、「恒久的な調和のなかで生きる世界という考えは、ユートピア的であり、 /   正義よりはむしろ力が、たいていの場合、国際的な問題においてより大きな影響力を(それまでに)持ってきていて、/  そして、政府は、国家の名誉と利益を守るためには、軍事力の行使から逃げるべきではない」と ]  を説明するために、使われる。  


This group rarely found the armed services adequate for all the country's obligations, was less prone to accept the assurances of foreign statesmen, reagrded its own Left as being unrealistic or even traitorous, and expected to have most influences when a Conservative government was in office, although it was also willing to criticise its own party leaders for being too ready to compromise and conciliate.  

このグループ(’右派’、’リアリスト’)は、/  その軍隊が、すべての国家的な義務に対して十分である、と認識したことは滅多に無く、/  外国の政治家の確約をそのまま受け取る傾向は乏しかったし、/  自国の左派を、非現実的か、あるいは裏切りの気配を持つとさえ見做していたし、 /  自党のリーダーたちを、あまりにも容易に妥協したり下手に出たりするという理由で、積極的に批判しようともしたが、保守党政権が国の舵取りをすれば、もっとも大きな影響力を持てる、と期待していた。




2025年9月1日月曜日

Starships 恒星間宇宙船(7) Michio Kaku / Physics of the Impossible ( Anchor Books ) より

     Analyzing the space program today, there is an enormous gap between our pitiful present-day capabilities and the requirements for a true starship that could enable us to begin to explore the universe.  

 今日のスペース・プログラムを分析すると、とてつもなく大きなギャップがある  /  私たちの、貧弱な現段階の能力と、実際の恒星間宇宙船 [ それは、私たちが宇宙を探索することを始められるようにしてくれるだろう ] のために要求されること、の間には。


Since exploring the moon in the early 1970s, our manned space program has sent astronauts into orbit only about 300 miles above the Earth in the Space Shuttle  and International Space Station. 

1970年代の初めに月を探索して以来、私たちの有人スペース・プログラムは、複数の宇宙飛行士を送り込んできている  /  地球のわずか300マイル上空の軌道に  /  スペース・シャトルと国際宇宙ステーションで。 


* 最初の月面着陸は、1969年7月20日のアポロ11号によるもので、1972年12月7日のアポロ17号で、アメリカの月着陸計画は終了しました。


By 2010, however, NASA plans to phase out the Space Shuttle to make way for the Orion spacecraft, which will eventually take astronauts back to the moon by the year 2020, after a fifty-year hiatus.

しかし、NASAは計画している  /  2010年までに、スペース・シャトルを段階的に退役させて、オリオン宇宙船に交代させ、オリオン宇宙船は、最終的に、宇宙飛行士を、五十年間の中断の後に、2020年までに再び月へ行かせるだろう、と。 


* Orion spacesraft: 月探査計画である Artemis Program(アルテミス計画)で使用される宇宙船で、この”Physics of the Impossible” が書かれた2008年の時点における予想よりは、やや遅れていますが、早期の有人月周回飛行、それに続く月面着陸に向けて、計画が進行中のようです。




The plan is to establish a permanent, manned moon base. 


A manned mission may be launched to Mrs after that.