2014年8月20日水曜日

西欧中世のカオス的世界(3)

 "Life and Work in Medieval Europe"    by  P.Boissonnade  を通してヨーロッパの中世の風景を眺めてみようと、これまで、ヨーロッパ中世の基層であるローマ帝国について見て来ましたが、今回は番外編として、Edward Gibbon(18世紀)の
"The History of the Decline and Fall of  the Roman Empire"(『ローマ帝国の衰退と崩壊の歴史』)
の冒頭の部分を窓にして、ローマ帝国を概観してみようと思います。

(1)  
       If a man were called to fix the period in the history of the world, during which the condition of the human race was most happy and prosperous, he would, without hesitation, name that which elapsed
from the death of Domitian to the accession of Commodus.

(2)
      The vast extent of the Roman empire was governed by absolute power, under the guidance of
virtue and wisdom.

(3)
     The armies were restrained by the firm but gentle hand of four successive emperors, whose
characters and authority commanded involuntary respect.

(4)
    The forms of the civil administration were preserved by Nerva, Trajan, Hadrian, and
the Antonines, who delighted in the image of liberty,  and were pleased with considering themselves
as the accountable ministers of the law.


(1)
  もし人が、世界の歴史のなかで人類のあり方がもっとも幸福で豊かだった時代を特定するように求められたら、ためらうことなく、ドミティアン帝の死からコンモドゥス帝の即位までにわたる時期を挙げるだろう。(AD96〜180)

(2)
  ローマ帝国の広大な領域は、徳と知恵という基本姿勢のもと、絶対的な権力によって治められていた。

(3)
  軍隊は、四代続いた皇帝たちによって、しっかりと、しかしおだやかに制御されていて、彼らは、その人格と権威によって、自ずからなる尊敬を集めていた。

(4)
  力によらない統治の形は、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスの各皇帝によって維持され、彼らは自由というイメージが気に入り、自分たちを、説明の義務を負って法に従う者と好んで考えた。


 これは18世紀の見解ですが、(4)のように、自由(liberty)が為政者に意識されていたというのは、古代の巨大帝国においては、極めて珍しいことだと思われます。
 
 古代ローマ人を遠い祖先に持つイタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニの作品に、『サテリコン("Fellini Satyricon")』という、古代ローマ世界を描いたものがあります。

 ただ、古代ローマの世界を厳密に考証して再現したというよりは、フェリーニが古代の
地中海世界に対して持っているイメージを奔放にふくらませて映像化したもので、たとえば、奴隷出身の大富豪が、大宴会の余興に自身の『葬式ごっこ』をおこなう場面では、般若心経の読経が使われていたり、主人公が牛の怪物ミノタウロスに扮した大男と戦う場面では、観衆があげる歓声に、ケチャック・ダンスのチャッチャッチャッが使われているという具合です。

 首尾一貫したストーリーらしいものも無く、主人公たちが、古代ローマ世界を舞台にした幾つものエピソードに、当ても無く漂いながら、行き当たりばったりに巻き込まれていくというカオス的な内容で、フェリーニの作品の中ではもっとも話題になることが少ないどころか、嫌われていると言ってもいい作品かもしれません。

 しかし、その混沌とした世界に入り込んで、一緒に漂っていれば、不思議な豊穣さと無常観が感じられて、今まで見た映画のなかでも、もっとも面白いものの一つでした。

 こういう野方図な映画なので、これを手がかりに古代ローマの社会の雰囲気を知ろうとするのは無茶なのですが、一つ印象に残るのは、登場人物たちに感じられる、一種の自由な印象です。何が生業かわからないけれども、詩人など、特に束縛されていないらしい人々がうようよいて、ポンペイの町の人々が現代の私たちとある程度重なるような生活をしていたらしいことと考え合わせると、古代社会なりの市民というものがあったように感じられます。

 実際は奴隷も大勢いたのですが、映画の最後では、主人が死んで奴隷の身分から解放された黒人青年が、自由になった、と言いながら全身で喜びを表す場面があったり、事実、奴隷が家庭教師として遠慮なく貴族の子弟を叱咤していた例が多いなど、他の古代社会の奴隷とは違っていたようです。

 こうした自由の記憶が、ローマ帝国が崩壊した後も伏流水のように受け継がれて、ルネッサンス以降に、表面に出て来たのかもしれません。

 この映画が作られたのは、1960年代の末で、欧米ではヒッピーの運動が起っていた、混乱しながらも、なんとなく未来が信じられもした時期でした。そんな時代の空気を反映しているのか、主人公たちも、時として、古代のヒッピーのように見えてしまいます。


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