2017年9月7日木曜日

西欧中世のカオス的世界(12)

The beginning of Byzantine history can be traced back to the Roman Empire as it emerged from the crisis of the third century.

ビザンティンの歴史の始まりは、それが三世紀の危機から表れたときのローマ帝国にまで遡ることができる。


The economic difficulties of this period had had particularly disastrous effects in the western half of the empire.

この時期の財政難は、帝国の西半分に、特に破壊的な影響をもたらした。


The East had greater powers of resistance --- a factor which determined future development and accounted for the "Byzantinizing" of the Roman Empire.

帝国の東部には、まだ持ちこたえる力があり、それによって、東部はその後発展し、ローマ帝国は『ビザンチン化』した。


Nevertheless the "pars orientalis" experienced the same crisis which was common to all parts of the late Roman Empire with its decadent economic and social structure, and was not spared economic collapse accompanied  by severe social and political upheaval.

それでも、いわゆる『東部地方』は、衰退した経済、社会の構造を抱えた末期ローマ帝国の、全ての地域と共通する、同じ危機を経験し、厳しい社会的、政治的な激変を伴った、経済的な崩壊を免れなかった。


It is true that the East did not suffer so noticeable a decline in population or so irreparable a decay of city life and economy as the West, but in common with the whole Empire its economic life was endangered by lack of labor and its trade and industry seriously threatened.        

東半分が、西半分のような、人口の目に見える減少や都市の生活や経済の回復不能な荒廃という被害を受けなかったことは事実だが、帝国全体に共通したことだが、経済活動は労働力の不足によって危機に陥り、交易や産業は深刻な脅威に晒された。


        ( " History of the Byzantine State"     George Ostrogorsky   : p29 )



* ところで、『まぐまぐ!』様のネットワークをお借りして、
 『英語はこうできている』というタイトルの、有料メルマガを発行しています。
 
 
私たち日本人には馴染みの無い英語の文法事項について、
どうしてそういう内容なのか、という素朴な疑問を出発点にして、
 根本の発想を探っていこうというものです。

 たとえば、

Summer is gone.

という文は、
go(自動詞)が使われているのに、『受け身』(他動詞でないと、受身はできません)みたいだ、
と不思議がられ、

一応、『現在完了』の特殊なもの、例外的な使い方、と説明されますが、

『過去分詞』gone が、
『これまで』の時間で、『行ってしまった』というケリのついた動き(完了)を表すと、

それに続く『いま』の時間では、
『(行ってしまったから、)もう、いない』という動き、というか状態(結果)を表します。

つまり、go については、『過去分詞』gone は、

『これまで』の時間における『完了』の内容と、
『いま』の時間における『結果』の内容、

という、二つの内容を持っています。

『完了』の動きは、
『これまで』にしてきた、してしまった、したことがある、という『実績』なので、
日本語とまったく同じ発想(実績がある、実績を持っている)で、
have(『助動詞』) の『目的語(のような立場)』になり、

Summer has gone.    (今年の夏も、とうとう行ってしまったなあ)

となりますが、

『結果』としての『もう、いない/ もう、存在していない』という内容は、
『いま』の時間における『状態』なので、『形容詞』と同じように be(イコール)を介して『主語』と結びついて、

Summer is gone.     (今年も、もう残暑だね)  ( ただし、この is は『助動詞』)

ということになります。


その他の多くの文法事項を、英語を分析するうえで実戦的に役立つように、
テキストの英文に沿って解説します。 



*  発行システム 『まぐまぐ!』  http://www.mag2/com/

   題名『英語はこうできている』

   発行日    毎月 7日  / 17日  / 27日.

     料金  600 + 消費税 円

* 現在の内容

 * "Under a Crimson Sun"       David S. Stevenson     

   赤色矮星の特質と、そこにおける生命の発生・進化の可能性についての解説

  * "Breaking the Limit              Karen Larsen
        : One Woman's Motorcycle Journey through North America"

   Harley-Davidson Sportster 1200 で New Jersey から Alaska まで走った女性の、
   旅と自己省察の記録

 * "Justice"       Michael J. Sandel

 現在のテーマは、
 国家(アメリカ合衆国)が戦争をする場合、 
   兵役はアメリカ市民の責務と考えて、皆がその重荷を負うべきか、
   それとも、
 兵役を職業上の選択肢の一つと割り切って、
 条件が納得できれば応じても良い、という人を、
 市場を通して募集し、多くの人を重荷から解放するべきか、
   という議論です。

2017年7月7日金曜日

西欧中世のカオス的世界(11)

イタリア半島のローマ帝国、遥か東方の漢と隋唐のあいだの分裂期、と見て来ましたが、イタリア半島と東方世界の中間の(と言っても、ユーラシア世界においては、地理的にかなり西寄りですが)ビザンチン世界を訪れてみます。

"History of the Byzantine State"     George Ostrogorsky   (p 28)

(1)  Byzantine history is indeed only a new phase of Roman history, just as the Byzantine state is only a continuation of the old "imperium romanum".  

ビザンティン国家が元々の『ローマ帝国』の延長であるように、ビアンティンの歴史は、まさにローマ帝国の歴史の新たな一局面であるに過ぎない。

(2)  The word "Byzantine" is of course the expression of a later generation and was not used by the so called "Byzantines".

『ビザンティン』という語は、もちろん後の世代の表現で、いわゆる『ビザンティンの人々』によっては用いられなかった。

(3)  They always called themselves Romans and their emperor considered himself as a Roman ruler, the successor and heir of the old Roman Caesars.

ビザンティン帝国の人々は、自分たちをローマ人と呼んでいたし、皇帝は自分を、ローマの歴代皇帝の後継者かつ相続人である、ローマ帝国の支配者と考えていた。

(4)  They remained under the spell of the name  of Rome as long as the empire lasted and to the end the traditions of Roman government dominated their political thought and purpose.

彼らは、帝国が存続するあいだはローマという名前に呪縛されていたし、最後まで、ローマ政府の伝統は、政治上の考え方と目的を支配した。

(5)  The Empire contained many different races< all bound together by means of the roman idea of the state>, and the relation of the Empire to the outside world was determined by the Roman concept of universality.

帝国は、ローマ流の国家の理念というものによって一つにされた多くの異なった民族を含んでおり、帝国と外部の世界との関係は、ローマ流の普遍性の概念によって判断された。
 

イタリア半島とバルカン半島とアナトリア半島が、交通に時間のかかった古代でも、一つの世界として意識されていたようで、まさに地中海は巨大な湖というかんじです。


** 『英語はこうできている』というメルマガを発行しています。

題名のとおり、通常の文法の説明というよりも、

文法の事項の背景にある『発想』を考えてみるという方針で探求しています。

たとえば、仮定法(過去、過去完了)は、

 『過去にさかのぼって、新たな動きを実現させることはできない』ことから、
動詞、助動詞の『過去形』のカタチを借りて、『実現する可能性が無い、あるいは低い』
 動きを表すものであり、

『仮定の世界』においては、動詞、助動詞は、『現在形』も『過去形』も、カタチのうえ
では『過去形』であり、したがって、

一般には、
『仮定法』の文を、『直接話法』から『間接話法』に変えても、『時制の一致』は発生しない、
と言われますが、そうではなくて、

『仮定の世界』においては、『現在形』が『過去形』に変っても、もともとカタチが同じ(『過去形』)なので、『時制の一致』が起きていないように見える(聞こえる)のです


いま扱っている内容は、
 
(A)  Under a Crimson Sun           David S. Stevenson     

    赤色矮星の特質と、そこにおける生命発生の可能性など

  * 本書を扱っている最中に、偶然、水瓶座(Aquarius)の方向、39光年彼方の赤色矮星 TRPPIST-1(トラピスト-1)に、7つの地球型惑星(岩石惑星)が確認され、そのうちの3つには、液体の水が存在する可能性がある、つまり生命が発生、進化する可能性がある、と判断されるという、興味深い発表がありました。

赤色矮星は、寿命が数兆年(!!)と長いので、発生した生命が知的に高度なレベルに達する時間的な余裕もじゅうぶんであり、かつ、赤色矮星は、宇宙においてもっとも数多いタイプの星なので、太陽系のある銀座系宇宙に限っても、知的生命体が存在する惑星は、それこそ天文学的な数に上ると思われます。


(B)  Breaking the Limit :     Karen Larsen
          One Woman's Motorcycle Journey through North America

   一人の女性が北米大陸をオートバイ(Harley-Davidson Sportster 1200)で駆け抜けた記録で、道の旅と心の旅が重なっています


(C) Justice                  Michael J. Sandel (Harvard Univ.  教授)

   社会に発生する様々な問題を、異なる視点から検証し、対立する見解のぶつかり合いのなかから、問題の本質を浮かび上がらせます


* 『まぐまぐ!』  http://www.mag2.com/  『英語はこうできている』
 
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