2016年8月31日水曜日

西欧中世のカオス的世界(8)

"Life and Work in Medieval Europe"    P. Boissonnade    (p 5)  より

『ローマ帝国の勢力圏外でヨーロッパ大陸の世界を形成していた、いわゆる蛮族の諸勢力
について』

Among the varied elements [of which the barbarian world was composed], the most irreducible belonged to Ural-Altaic races.
            S                V
(ローマ帝国の側から見た)蛮族の、もっとも無視できない一派は、ウラル・アルタイ語族に属していた。


One variety <of these races>, <that of the Finns of the north and east,
         S
< consisting of tribes, some nomad and others settled, [which inhabited the zone of forests and marshes /between the Arctic Ocean and the Upper Volga,
 covering half of modern Russia ] >>, took no part in the invasions.
                                                           V          O
このうちの、北方と東方のフィン族には、遊牧民も定住民もいて、北極海からヴォルガ川上流域にまたがる、ロシアの半分に当る地域に住み着いており、ローマの領域へは侵入しなかった。


The other variety consisted of peoples <of Eastern and Central Asia>,
                    S        V
 <Huns, Avars, Bulgars, Khazars, Petcheneges (Patzinaks), Magyars, Mongols,
[ who were for the most part mere destroyers ]>.
    s      v                                              c
他は、東アジアおよび中央アジアのフン、マジャール、モンゴルなどの諸族で、おおむね、破壊ばかりをこととしていた。


Fierce and cruel races, knowing only a nomad life and owing no wealth /save
         
                            c’  
             v"                            o"           v"             o" 

their herds, they obtained their chief means of existence /from war and rapine.
       S       V                           O 
                   s'
                   s"

彼らは凶暴、冷酷で、遊牧の生活しか知らず家畜の群以外の財産を持たず、主な生活の糧は
戦いと略奪から得ていた。


ローマ帝国と対峙した民族というと、すぐ思い浮かぶのは、ウェルキンゲトリクス(Vercingetorix  /ヴェルサンジェトリクス)に率いられたガリア(結局、ローマの版図に組み込まれましたが)のケルト族や、北方の森の民ゲルマン人ですが、これらは(今日の)西ヨーロッパに限定された地域の話で、その東方の広漠とした土地にも当然、いろいろな民族がいて、彼らが西へ移動して(今日の)ヨーロッパ世界が騒然とした状況になりましたが、この移動が起こったのは、さらに東方からのフン族(匈奴?)の暴力的な圧力が、玉突きのように西方への移動の衝撃となって伝播したからで、衝撃が行き着いたヨーロッパでは、比較的狭い大陸(というより、大きな半島)の中で衝撃の行き場を求めての、各々の民族の移動が発生してカオス状態となり、ローマ帝国も、広大な領域を持つ故に、その混乱に巻き込まれることになりました。(つづきます)


ところで、『英語はこうできている』というメルマガを、『まぐまぐ』様を通して発行しています(毎月 7日、17日、27日 発行/ 計 600円+消費税)。
  
動く物体は、物理法則に支配されているので、たとえば自転車でコーナーをできるだけ速く走り抜けるには、直線ではできるだけ速く走り、コーナーの入り口にもっとも近い地点で一気にスピードを落として(直進しようとする勢いを抑える)コーナーをまわり、コーナーを抜けたらいちはやく加速を始める、という手順になるでしょうが
(一気に減速するには、ブレーキを使うのが効果的ですが、その場合は急減速したところへ後続の自転車が追突する恐れがあるので、競輪では、ブレーキを装備せず、後輪が空転しない機構の自転車を使って、ペダルの回転数を落としてスピードを緩めるようにしています。同じ理由で、オートレースのオートバイにはブレーキが無く、減速はエンジンブレーキだけで行ないます)、
これは誰にでも当てはまることで、人によってはまるで走り方が違う、ということはありません。

別に速く走る必要が無くても、このようにすれば、滑りやすい雪道を安全に走れるので、『乗っているうちにうまくなる』のは確かですが、雪道で初めて自転車に乗る人には、一言、『カーブの手前で充分に減速して』と言ってあげるのが親切でしょう。

 英語も、慣れることと並行して、簡単な理屈(言葉は誰でも使うものなので、それを成り立たせている仕組みも、複雑怪奇ということはありません)の説明さえあれば、親しみやすいものになります。

言葉は慣れだ、と言って、簡単な説明さえ省いてしまうと、たとえば中一のはじめに出てくる

He rides a bicycle.

が、
can が入ると

He can ride a bicycle.

となって、rides の "s" が消えてしまうことも、なぜそうなのか、 と気になって、その先へ進みづらくなってしまいかねません(実際に、英語に興味と期待を持って学習を始めた人が、疑問文、否定文に do が出てくるあたりから、抵抗を感じるようになる例が少なくないようです)。

rides は、『動詞の現在形』で、
can ride は、『 can(助動詞の現在形)+ ride(動詞の原形)』です。

『現在形』は、『現在』における動きで、『現在』は『時間の流れ』の中にあります。
(『過去形』は、『過去』における動きで、『過去』もやはり、『時間の流れ』の中にあります)

動きの主人公(『主語』)は、必ず『時間の流れ』の中に居ます(あります)。

He は、『動詞の現在形』とつながっているので、『現在』にいます。

逆に言うと、
『現在形』は、『現在』にいる『主語』とかならず結びつきます(というか、
『現在』の主語に結びつくために、『現在形』になっています)。

ところが、『原形』は、『現在形』でも『過去形』でもないので、『現在』に居る主語とも『過去』に居る主語ともつながりません。

よって、『原形』は、『時間の流れ』の外にあります。

『時間の流れ』の外にある『原形』が、『時間の流れ』の中に居る主語につながるには(主語の動きになるには) 、『主語』との間に入って橋渡ししてくれるものが必要で、
それが『助動詞』で、
ここでは  can です。

つまり、『助動詞』can は、『時間の流れ』の中と外にまたがって、流れの中と外をつなぐという、特殊なはたらきをしています。

『現在形』は、『現在』に居る主語にしかつながりません。
したがって、この can は、『助動詞の現在形』です。

『原形』は、『助動詞』につながって、(助動詞を通して)はじめて主語につながります。

rides の "s" が消えたのではなく、
(“s” の無い)『原形』が、 can に接続しているのです。

(『動詞の現在形』rides は、『主語』He にしかつながらないので、

  can +『動詞の現在形』rides

というつながりは有り得ません。
can は、『主語』ではないからです)

ということなのですが、
大事なのは意味・内容をつかむことだから、『助動詞』だとか『原形』だとかはどうでもいい、という感想もあるかと思います。

ところが、
『時間の流れ』の中の『主語』に、流れの中の『助動詞』がつながり、『助動詞』がさらに流れの外の『動詞(原形など)』につながって、『主語』のうごきを表す、
というのは、『do not の否定文』も、『進行形』も、『完了形』も、『受身(受動態)』も、
さらに、これらが組み合わされた、たとえば『 (現在、過去、未来)完了進行形』も、同じです。

つまり、英語が複雑そうに見えるのは、いろいろな表情の『うごき』を表すために、いろいろな

『助動詞』+『動詞(原形など)』

の組合せがあるからで、
逆に言うと、
その『助動詞』の内容と、その『動詞(原形など)』の内容がはっきりすれば、
どの『助動詞+動詞(原形など)』も、内容が明らかになります・・・

という理屈ばかりでもあれなので、
もっか、
『英語は「こんなにシンプルに」できている』
という副題で、具体例を材料に、教科書や参考書、一般の文法書とは異なる視点から、発想や構造の説明をしています。
いま、題材にしているのは、
* Under a Crimson Sun (赤色矮星を回る惑星の、生命発生の可能性)
* Great Girls(カナダの女子スポーツ選手の列伝の中の、
アイスホッケーのスタープレーヤー・Hayley Wickenheiser  の小伝)
* Justice(ハーバード大 Sandel教授の、社会的な論点の、対立する視点からの検討)
です。

現在、先端技術の若い研究者には、小学生時代から学術論文を愛読していたという方もおられるので、ここでは、特定の年齢層は想定していません。