2025年10月26日日曜日

does「おこなう」を not で否定すると do になるけど、"es" はどこへ?: 英語は実はかなりシンプル(11)

 He does his best.「彼は最善を尽くしているよ」

に 

not を加えて否定文を作ろうとすると、 

does は、

do(動詞・原形)「おこなう」が、

『主語』He(三人称・単数)に接続するために

『人称形』(主語に接続するための形)does になったもので、

『be動詞』( 『人称形』am, are, is  /  was, were ) ではないので、

does not とすることはできず、


『be動詞』以外の『一般動詞』は、

『助動詞』do, does / did に not を付けることになります。


『助動詞』do は、

『動詞』do と同じで、「おこなう」の意ですから、

『助動詞』do の三人称の形 does をHe に接続させ、

does に『動詞・原形』do を接続させて

He does do his best.

とすると、

「彼は、最善のことを、おこなうという動き(動詞)を、おこなう(助動詞)」

という、「おこなう」という動きを強調する内容になります。


 『助動詞』does にnot を接続させると、

He does not do his best.

 「彼は、最善のことを、おこなうという動き(動詞)を、おこなわない( 助動詞+ not )」

つまり、

「彼は、最善を尽くしていない」

という否定文になります。


同じ『動詞』「おこなう」でも、

『動詞・人称形』does の代わりに、『動詞・原形』do が入るので、

    does の"es" が消えるように見えてしまいます。

2025年10月19日日曜日

You do your best. の『否定文』は、 You don't your best. ではない?: 英語は実はかなりシンプル(10)

 You do your best.「君はベストを尽くす  /   尽くしている」で、

『主語』 You に接続している『動詞』 do「おこなう」には、

not が接続しません。


You are the best. なら、

You are not the best, ( but your performance was impressive. )

あなたが最高ではない( が、あなたの演技には感銘を受けた ) 

のように、are に not が接続します。


『主語』に接続している『動詞・人称形』に not が接続するのは、

am, are, is  /  was, were (『Be動詞』)の場合だけで、

それ以外の動詞(『一般動詞』)の場合は、

『助動詞』do, does  /  did  に not が接続します。


 したがって、

do(『be動詞』以外の動詞 )「おこなう」の場合は、

『”助動詞”・人称形』do に not が接続します。


 そのため、not を接続させるには、

not を接続させる前に、『助動詞』do が入っている文に、つくり直さなければなりません。


You は、『二人称』の主語なので 、『助動詞』は 『二人称』の do です。

You do your best の do は、『主語』You に接続しているので、『二人称』の『動詞』ですが、

You に、『助動詞』do が接続すると、

動詞「おこなう」は、『主語』You にではなく、『助動詞』do に接続することになるので、

『動詞・人称形』 do ではなく、 

『動詞・”原形”』do が、『助動詞』 do に接続することになります。


 したがって、

You do do your best. 「君はちゃんと最善を尽くしているよ」

となりますが、

do do という同音の反復は、native speakers にも、やや不自然に感じられるようです。

 (  ”同音の反復”に多少の違和感を持つのは、北海道が管理する道路『道道(どうどう)』に対して,『県道』の語感に慣れている内地(北海道の外)からの旅行者の方々が、最初のうちは多少の違和感を感じる事情に、通ずるものがあるようです。 )


 しかし、You do do your best. は、落ち込んでいる相手などを励ます場合に使われる、自然な表現です。


 You do do your best.  が用意されたら、

『助動詞』do に not を接続させて、『否定文』

You do not do your best.

の完成です。



2025年10月17日金曜日

『動詞・原形』は「根源の動詞」なので、自由に活動: 英語は実はかなりシンプル(9)

 『動詞・原形』は、「時間の流れ」の”外”にあります。

何故なら、『動詞・原形』には、『現在形』も『過去形』も無いからです。


『現在形』、『過去形』があれば「時間の流れ」の”中”にあることになります。

「時間の流れ」の”中”にあれば、

同じく「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』にそのまま接続できます。


 『動詞・原形』は、

『現在形』も『過去形』も持たず、したがって「時間の流れ」の”外”にある点で、

done・doing・to do と似ていますが、


『動詞・原形』do は、

『動詞』の根源的な存在なので、

「時間の流れ」を超越するような、自由な働き方をします。


(1)『動詞・原形』do は、

『現在形』do, does、『過去形』did に”変身”して、『主語』に接続します。


 一方、

done・doing・to do は、

『助動詞』の『人称形』is, are, was, were  /  have, has, had  によって、

「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」されて、

『主語』に接続します。

 

〈2〉また、『動詞・原形』do は、

『助動詞』によって、

「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」されることによっても、

『主語』に接続します。


 can, could などでは、

否定は、 can not, could not で、 


 『一般動詞』は、do not, does not / did not で否定します。


(3)『動詞・原形』は、「時間の流れ」の外を浮遊する「自由浮遊動詞」でもあるので、

同じく「自由浮遊動詞」である done・doing・to do が、


『動詞・人称形』ではないので、

文をつくる4つの要素、

『動詞・人称形』、『名詞』、『形容詞』、『副詞』のうちの、

『動詞・人称形』以外の、

『名詞』、『形容詞』、『副詞』のように機能するのに似て、


『動詞・人称形』は、

『形容詞』に似た働きもします。

 たとえば、

He saw an owl glide through the moonlit night sky.                                                                                   S     V              O     C 

「彼は、月の光で明るい夜空を、一羽のフクロウが(ずうっと)滑るように飛ぶのを見た」


において、

glide(自動詞・原形)は、

一般的な SVOC においては『形容詞』がよく使われる C を担当しています。

glide は『動詞・原形』なので、本質的に「動き」を表しますが、

an owl (O) に対して、「滑るように、ずうっと飛ぶ」という動きの要素を含む「様子」の説明をしています。


He saw an owl gliding through the moonlit night sky.                                                                               S     V             O        C

なら、gliding「(いま、もっか)滑るように飛んでいる(状態の)」は、

「動きの要素を持つ”状態”」として、より『形容詞』に近くなります。



(4)『動詞・原形』が、

そのままで(「時間の流れ」の中に入って『動詞・人称形』に”変身”せずに)

『主語』の V「うごき」を表す場合もあります。


 映画の1シーンのようですが、アメリカの荒野の誰もいないところで、放置された自動車が一台だけあり、移動手段になりそうなのはこれしかない、という場合、

(a)   どうにか走るかもしれない、と思える場合は、

If this car runs, we will get to the next town in three hours.

「この車が走れば、私たちは、三時間で、次の街に到着するだろう」


(b)   車の状態が悪くて、とても走りそうもない、と思える場合は、

If this car ran, we would get to the next town in three hours.

「この車が走ってくれれば、私たちは三時間で次の街に着くんだが」


のように、『現在』において、

(a)   「動きの実現可能性」がある場合は、『動詞・現在形』が、

(b) 「動きの実現可能性」が無い、あるいは弱い場合は、

『動詞・(カタチのうえの)過去形』が使われます。


 つまり、『現在』において、

『動詞・現在形』は、V「うごき」が実現しそうなニュアンス、

『動詞・(カタチのうえの)過去形』は、V「うごき」が実現しそうもないニュアンス、

を持ちます。


 つまり、『現在』においては、動詞が『現在形』か『(カタチのうえの)過去形』か、が、

その V「うごき」が、実現しそうなのか、実現しそうではないのか、というニュアンスを表します。


 そこへいくと、

 『動詞・原形』は、「時間の流れ」の”外”にあって、

現在、過去という時間の要素を持たないので、

V「うごき」の実現可能性の有無、というニュアンスが無く、

淡々と V「うごき」を表します。


He asked that the garden lights be turned off so he could watch the comet in the night sky clearly. 

「彼は、夜空の彗星がはっきり見えるように、庭の灯りが消されるようにと、依頼した」

では、

be turned off(句他動詞 turn off の「受け身の動詞」の『原形』)が、

『主語』the garden lights の V「うごき」になっています。


〈5〉『動詞・原形』が V「動き」を表す場合:『命令文』

『主語』が You であることが明白なので、You が省略される場合がほとんどですが、

You がある場合は、

You be careful of sudden changes in the weather in the mountains.

「山の天気の急な変化には気を付けてね」

のように、

「時間の流れ」の”外”の『動詞・原形』be が、

「時間の流れ」の”中”の『主語』Youと、

「表現者」の”力業”によって、

「時間の流れ」の"岸"を超えて、結びつけられています。


2025年10月7日火曜日

「接続動詞」(人称形)と「自由浮遊動詞」(非人称形): 英語は実はかなりシンプル(8)

** ここの「接続動詞」、「自由浮遊動詞」という語は、筆者個人の英文法の捉え方を表すために造った用語で、一般的に使われている用語ではありません。

「時間の流れ」も、一般的には使われていません。  

ただ、これらの概念を用いると、英文法の本質を捉えることが容易になると思われるので、

「・・・」という表示で用いています。

一般的に使われている用語は、『・・・』と表示しています。



 惑星が、恒星を回っているのは、恒星と惑星が、引力によって結びついているからですが、

惑星(惑星質量天体)には、引力によって恒星と結びつかず、宇宙空間を自由に浮遊している「自由浮遊惑星  (rogue planet  /  放浪惑星 ) 」と呼ばれるものもあり、最近、その数がかなり多いことがわかってきています。


 一般にイメージされる惑星は、特定の恒星(太陽など)と引力で結びついてその恒星を回り、その恒星系(太陽系など)はさらに銀河系の中心部(太陽系は、銀河系の中心から約3万光年離れて)を回り、惑星はその恒星系に属することによって、いわば間接的に銀河系を公転しますが、

「自由浮遊惑星」は、特定の恒星系に属さないので、直接的に銀河系の中心を公転しています。


 英語では、

*『主語』(「時間の流れ」の中にいる、ある)が”恒星”、

*『主語』と同様に「時間の流れ」の中にあって、『主語』に接続する

『動詞・現在形』『動詞・過去形』や『助動詞・現在形』『助動詞・過去形』が”惑星”で、


『主語』に接続する動詞、という点に着目すると、

「接続動詞」ということになります。


*「時間の流れ」の外の時間を浮遊していて、そのままでは『主語』に接続できない  原形do

done、doing、to do は、"自由浮遊惑星" に相当します。

『助動詞・人称形』の「橋渡し」によって『主語』に接続されるまでは、

「時間の流れ」の”外”を自由に浮遊している動詞、という性質に着目すると、

「自由浮遊動詞」ということになります。

 


 英語が置かれている「時間」は、宇宙空間に相当し、

さらに、この時間の広がりには、天の川のような、「時間」が流れている川があります。

時間は、「時間の流れ」の中だけで流れています。

「時間の流れ」の外にも、やはり時間はありますが、流れは無く、遥かな過去から遥かな未来まで、流れない時間が空間のように広がっています。


 英語の文は、

S『主語』+ V「うごき」

を中心に作られますが、

『主語』は、「時間の流れ」の中にいます(あります)。

 したがって、『主語』の V「うごき」は、

  『主語』に接続しなければなりませんから(『動詞・人称形』)、

  V「うごき」が複数の「動き(  原形do、done、doing、 to  do )」から出来ている場合、

  先頭の語は、「時間の流れ」の”中”(『現在』、『過去』)になければなりません。

つまり、先頭の語は、『人称形』(『現在形』、『過去形』)でなければなりません。

  

* He has been watching an eagle circling overhead for a few minutes.

  「彼は、一羽の鷲が頭上を旋回しているのを、数分間、見続けている」

では、

has been watching が V「うごき」で(『現在完了・進行形』)、


been watching が、「進行の動詞」be doing(『原形』)の『過去分詞』で、

「これまで」の時間域で「見続けている」、という「(動きの)実績」を表し、

その動きの「実績」を「持っている」ことを表すのが "has" で、

has は、『完了の助動詞』の『人称形』(『現在形』)で、『主語』に接続しています。

その結果、

has been watching という V「うごき」の全体が、『主語』に接続することになり、

has been watching が、

『現在完了・進行形』という V「うごき」の『人称形』(『現在形』)になっています。

ただ、

『主語』に直接に接続しているのは『助動詞』has(『現在形』) だけで、

been watching の部分は、「時間の流れ」の”外”にあります。 


* He is watching an eagle in the sky. (『現在進行形』)

  「彼は、空の一羽の鷲を、見ている」

では、

watchingは、

「時間の流れ」の岸の上から、目の前の「いま」の時間域を”流れている”ボール(動きの最小単位)を見て、初めて認識できる動き(どんどん流れている”状態”)で、

「時間の流れ」を”ボールと一緒に、同じ速さで流れている”『主語』には、

「動きの、どんどん流れている状態」は認識できないので、

watching は、

「時間の流れ」の”岸の上”に置かれたカメラで、流れているボールを撮影して捉えられる”映像”のようなものなので、

watching は、「時間の流れ」の”外”の”岸の上”にあり、そのままでは、「時間の流れ」の”中”の『主語』に接続できません


watching は、

「いま」の時間域において、「(いま、もっか)注視している、注視しつつある(状態の)」

という、

「watch という動きが発生しつつある”状態”」を表す点で、

『形容詞』の、名詞の”状態”を表す機能に似ているので、

watching を『主語』に接続させるには、

『形容詞』を『主語』に接続させるために「イコール」の『be動詞』が使われるように、

『現在分詞』watching を『主語』に接続させるために、「イコール」の『助動詞』is が使われています。


 以上から、

is watching =「進行の動詞」の『現在形』(『人称形』)、

さらに、

be watching =「進行の動詞」の『原形』、

been watching=「進行の動詞」の『過去分詞』

となります。


* been watching を用いると、


  たとえば、今夜、流星雨 ( meteoric shower )を見る予定だけれども、流れ星が見えているうちはなかなか切り上げられないので、見るのは午前2時までにしよう、と決めてある場合は、

We will have been watching the meteoric shower for several hours by 2 a.m. tomorrow.

「私たちは、明日の午前2時までに、数時間、流星雨を見続けていることになるだろう」

という表現になり、 

「明日の午前2時という、先の時点まで、”見ている”という動きが続くだろう」

という内容になります。 (『未来完了進行形』)


 『推測の助動詞・現在形』will によって、

have been watching「進行の完了の動詞・原形」を先(未来)の時点に置くと、

will have been watching で、

「その時点まで、ずっと見続けているだろう」ということになります。

2025年9月30日火曜日

『助動詞』が、「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」します : 英語は実はかなりシンプル(7)

 『主語』は「時間の流れ」の”中”にいて(あって)、

done、doing、to do は、「時間の流れ」の”外”にありますから、

done、doing、 to do は、

そのままでは、『主語』に接続することが出来ません。つまり、

そのままでは、『主語』の V「うごき」を表すことは出来ません。


 そこに登場するのが『助動詞』で、

『助動詞・人称形』は、

「時間の流れ」の”中”にあって『主語』に接続し、

「時間の流れ」の”岸”を超えて done、doing、to do にも接続して、

「時間の流れ」の”中”と”外”を「橋渡し」します。



(1) done の場合は、


* 『過去分詞』done は、

「これまで」に「~という動き、をおこなってしまった、おこなったことがある」、

という内容なので、

「”これまで”の”実績”」ということになり、


日本語での

「~をした実績が”ある”、実績を”持っている”」という発想と同様に、

『主語』と done を「橋渡し」する『助動詞』は、

have ということになります。



* 『他動詞』の場合は、


       **     動きの”主体”が、「これまで」に「~という動きをしてしまった」 

    反映として、

       **     その動きを受ける側(”目的語”側)は、

   「いま」、その結果として「~ されてしまっている”状態”」

   にあるので、


『主語』=「いま、~ されてしまっている”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be ということになります。



* 『自動詞』の場合は、

たとえば go「行く」の場合、

『過去分詞』gone では、


    **    「これまで」に「行ってしまった」という動き、が「完了」し、

    **     「いま」、その「結果」としての「いない」という”状態”、が発生しているので、


  『主語』=「いま、いない、という”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be ということになります。



(2)doing の場合は、


『現在分詞』doing は、

「いま」、「~という動き、をおこなっている、おこないつつある”状態”」、

という内容なので、


『主語』=「~という動き、をおこなっている、おこないつつある”状態”」

の”=”に当たる『助動詞』は、

be です。



(3)to do の場合は、


『不定詞』to do は、

「これから」、「~という動きをしようとしている”状態”」、

という内容なので、


『主語』=「これから、~という動きをしようとしている”状態”」

の ”=” に当たる『助動詞』は、

be です。



このように、

done、doing、to do  は、

「これまで」、「いま」、「これから」という、

それぞれの時間域の V「うごき」をつくり、

そららのV「うごき」が連動して、

結果的に、

連続する時間のすべてをカヴァーしています。

2025年9月29日月曜日

done・doing・to do は、どれも、『名詞』、『形容詞』、『副詞』のように働きます:英語は実はかなりシンプル(6)

  『文型』に使われる品詞の種類は

『動詞・人称形』、『名詞』、『形容詞」、の3種です。

これだけで、どの文型の文も作れます。


 さらに、文型の要素ではありませんが、『名詞』”以外”を説明する

『副詞』が加わって、


『文』を作るのに必要な品詞は、

『動詞・人称形』、『名詞』、『形容詞』、『副詞』の4種です。


* ここで、

done、doing、to do は、

「時間の流れ」の”外”にあり、

『主語』は、「時間の流れ」の”中”にあるので、 

do、doing、to do は、(そのままでは、)

『主語』に接続できません。つまり、

done、doing、to do は、

『動詞・人称形』ではありません!


 したがって、 

done、doing、to do は、

『動詞・人称形』以外の、

『名詞』、『形容詞』、『副詞』として機能します!!



(1) もっとも馴染みがあるのは、

to do の、

『名詞的用法』、『形容詞的用法』、『副詞的用法』ですが、

次のような用法も、to do の『形容詞』のような用法と考えられ、


*    Neal Armstrong was to become the first human to set foot on the Moon.

  「二―ル・アームストロングは、月に足を下ろす最初の人間になる運命だった」では、

Neal Armstrong = to become「これから ~ になる」・・・ という関係で

(was は『助動詞』)、

to become が、

 Neal Armstrong は、「これから月に足を下ろす最初の人間になろうとする」、

 と説明するので、

to become は、『形容詞』のように機能しています。


 to set・・・は、the first man に付いて、説明しているので、

やはり、『形容詞』としての機能です。



(2) doing の『名詞的用法』が

『動名詞』で、

さらに、


* He is singing on the stage. (『進行形』)では、

  「彼は、ステージで歌っている」では、

He = singing・・・

という関係で He を説明しているので、

doing は『形容詞』のように働いており、


* He rode his bicycle along the river, singing loudly.

「彼は、大声で歌いながら、彼の自転車を川に沿って走らせた」では、

rode を、「並行して発生している動き」として

『副詞』のように説明しており(『分詞構文』)、



(3) done は、

「これまで」におこなってきた動き、

なので、

「~をしてきた、~したことがある」という

「実績」であり、


* Humans have landed on the Moon.

「人類は、月に着陸したことがある」は、

「『現在』にいる人類は、月に着陸したという”実績”を”持っている”」

という内容で(『現在完了形』)、

この場合、

『過去分詞』landed は、

『助動詞』have の『目的語』のような立場なので、

done の『名詞』としての機能であり、 


* 『他動詞』の場合は、

たとえば write「書く」の『過去分詞』は、


** 主語側が、「これまで」の時間域で「書いてしまった」とき、

** 目的語側は、その結果、「いま」の時間域で、「書かれてしまっている」という”状態”になり、


* "Blue Highway" was written by William Least Heat-Moon.

「”ブルー・ハイウェイ”は、ウィリアム・リースト・ヒート=ムーンによって書かれた」

では、

Blue Highway = written・・・ の関係で、Blue Highways を、

『形容詞』のように説明しています(『受動態』)( was は『助動詞』)。


* The asteroid probe Hayabusa returned to Earth, watched over by many people.

「小惑星探査機はやぶさは、大勢の人々に見守られて、地球に帰還した」では、

句他動詞・watched over 「見守る」は、


** 主語側は、「これまで」に「見守ってしまった、見守ってきた」

** 目的語側は、その結果、「いま」は「見守られている」 

という内容になり、

『受動』のニュアンスの「見守られている」が、

returned を『副詞』のように説明しています。(『分詞構文』)


 『分詞構文』は、『現在分詞』、『過去分詞』の

『副詞的用法」という見方も出来ます。





2025年9月26日金曜日

『主語』には、done・doing・to do は”見えません”-----現在形・過去形は”見えます”が: 英語は実はかなりシンプル(5)

 done『過去分詞』、doing『現在分詞』、to do『不定詞』が、

『主語』の V「うごき」を表すには、

『主語』に接続しなければなりません。


ところが、done、 doing、 to do は、

「時間の流れ」の”外”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』には、

そのままでは接続できません。


『動詞・現在形』do (does)、『動詞・過去形』did は、

「時間の流れ」の”中”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』に、そのままで接続します。


 この事情を”可視化”するために、

これらの「動き」( V「うごき」の"素<もと>" )を、

「ボール」にたとえてみます。 


「時間の流れ」を「川の流れ」にたとえると、

『現在』は、そのうちの ”a地点 ~ b地点” の範囲で、

『主語』は a地点にいて、ゴムボート( スピードは出ませんが、流れるだけなので)に乗って、浮かんでいます。

『主語』の隣にボール(ヨガボールなら直径45センチくらい。もちろんサッカーボールでもかまいません)が浮いています。

ゴムボートは、『主語』を乗せて流れ、

ボールも流れます。

同じ流れに浮かんでいるので、流れる速さは同じです。

したがって、『主語』には、ボールがどのくらいの速さで流れているか、わかりません。


『動詞・現在形』は、

元々は、「時間の流れ」の外にあった『動詞・原形』ですが、

「時間の流れ」の『現在』の領域に来て『動詞・現在形』になり、

『主語』がボールに手を載せて、『主語』とボールが繋がって、ボールは『主語』の V「うごき」になります。


『動詞・現在形』が、ボールとして実体化しているのは、

「実現可能性」がある範囲で、b 地点までです。

b地点を超えると、実現可能かどうかわからなくなり、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・現在形』will によって推測することになります。)


『過去』も、”a地点 ~ b地点” が、「時間の流れ」の上流へ移動するだけで、

他は同じです。

「実現可能性」がある間は、ボールが実体化していますが、

b地点を超えると、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・過去形』would によって推測します。)


 ここまでは、ボールは、『主語』から見えていて、V「うごき」として使う場合は、

ボールに手を載せて、繋がります。


 ところが、done、doing、to do のボールは、

「時間の流れ」の上にいる『主語』からは見えません。

「川の流れ」と違って、「時間の流れ」では、

『主語』の上流側にも下流側にも、ゴムボートの前後にスクリーンが取り付けられているようなもので、

スクリーンが『主語』と共に移動して、

「これまで」の領域も「これから」の領域も、見せてくれないからです。


したがって、

「これから」を流れ下るボールも、

「いま」を流れているボールも(ボールの速さは、『主語』にはわかりません)、

「これから」を流れ下るボールも、

「時間の流れ」の”外”(『時間の流れ』の”岸”の上)から見ることになります。

そこには、スクリーンが無いからです。


『主語』は、done も doingも todo も、直接に見ることができませんから、

まして、『動詞・現在形』、『動詞・過去形』の場合のように、

『主語』が、直接に手を載せて、繋がって V「うごき」にすることもできません。


 このように、「動き」を表すボールにも、『主語』から、

「見えるボール」と「見えないボール」があります。


 したがって、『主語』が done、doing、to do に接続して V「うごき」にするには、

何らかの方法で、

『主語』と done、doing、to do のボールが、繋がらなければなりません。