2025年8月29日金曜日

事業存続マネジメント(19)The Definitive Handbook of Business Continuity

 Edited by Andrew Hiles and  Peter Barnes


* Disaster can strike, within your organization as well   (5)

  ディザスターは襲ってきます、あなたの組織の中にも 


* Classification of disasters   (2)

  ディザスターの分類



     Some companies ask themseives if they should include the loss of the head office in the scope of the business continuity plan, especially as the probability of events leading to the destruction of the head office is considered to be low.

  会社の中には、自らに問う会社があります  //  本社を失うことを、事業継続プランの範囲に含めた方が良いのかどうか、と  /   とくに、イヴェント{ 本社の破壊につながる }の蓋然性が低いと考えられる、という理由で。  


Basically, this is the wrong, or at least an imcomplete question.

基本的に、これは間違った問い、あるいは、少なくとも、不完全な問いです。


Your Business Continuity Management should not be driven by eliminating risks according to (only) probability of events, but rather by considering what would be the effect and impact on your business if an unexpected event were to occur, whatever the event.

あなたの事業継続マネジメントは、イヴェントの蓋然性(のみ)にしたがってリスクを消去することによって進められるべきではなく、むしろ、予想できないイヴェントが、そのイヴェントが何であれ、万が一、発生するならば、あなたの事業への影響や衝撃がどのようであるか、を考えることによって、進められるべきです。


In that sense, for Business Continuity Management as a method of achieving  business resumption, potential events and disasters woud be better classified according to their business impact.  

その意味で、事業の再開を達成する方法としての事業継続マネジメントにとっては、可能性のあるイヴェントやディザスターは、それらの事業への衝撃を指針にすることにより、より的確に分類されるでしょう。





   








2025年8月15日金曜日

ハンザ同盟の力(6) Forces of the Hanseatic League 13th -- 15th Centuries by David Nicolle ( Osprey )

The importance of 12th-century towns   ( 1 ) 

12世紀の都市の重要性



During the medieval period German regionalism was even stronger than today, with the northern lowlands having their own distinct languages of Saxon and Frisian. 

中世においては、ドイツの、小さな政治単位(都市国家、領邦、公爵領など)の併存状態は、今日よりもはるかに顕著だった  /  (バルト海、北海に面した)北部の低地の諸地域が、それらの、ザクセン語やフリジア語という、まったく異なる言語を持っていて。


Efforts by Imperial central government to unify provincial and legal frameworks, while attempting to impose a single tongue (Middle High German) as the official language, failed.   

神聖ローマ帝国の中央政府の、地方的な、そして法的な枠組みを統一しようとする努力は、一方で、単一の話し言葉(中世中期の高地ドイツ語)を、公用語として強制しようとしたが、失敗した。


In fact, as Germany colonized to the east, the 12 dialects of the 12th century grew to 18 by the close of the 15th century.

事実、神聖ローマ帝国の中のドイツ語圏の人々が、東方へ植民するにつれて、12世紀の12の方言は、15世紀の終わりには、18に増えた。


Meanwhile, the importance of towns can hardly be overstated, with the chief Hanseatic centre of Lubeck being just one example.

それと同時に、都市の重要性は、強調されてもされ過ぎることは無く、ハンザ同盟の主要な中心であるリューベックは、一例に過ぎない。





ケルト人の自然崇拝: ヨーロッパ文化の底流(21)  Celtic Wicca by Jane Raeburn ( Citadel Press pp. 8, 9 )

 So what do we know?   ( 9 )

それならば、私たちは何を知っているのだろうか?



     The most convincing discovery of this nature is the Lindow Man, a sacrificial victim of the Iron Age whose body was found preserved in a peat bog.

この種の、最も説得力のある発見は、リンドウ・マンで、鉄器時代の犠牲に供された犠牲者 [ その死体は、泥炭湿地の中で保存された状態で、発見された ] である。


His death was no mere accident or murder, for he was killed three ways:  he was poleaxed, garroted, and had his throat cut.

彼の死は、単なる事故や殺人ではなかったが、その理由は、彼が、三とおりの方法で殺されたことである: 彼は、柄の長い斧で頭部を強打され、鉄の輪で首を絞められ、そして彼の喉を切られた。


          Sacrifices were presided over by a priestly class called the Druids.

   生贄(いけにえ)は、僧侶階級 [ ドルイドと呼ばれる ]  によって、執り行われた。


The origin of this word is difficult to pinpoint, but may relate to a word for "oak," or another meaning  "to know." 

この言葉の起源は、特定することが難しいが、 ”オーク”、あるいは”知ること”というもう一つの意味に、関係があるのかもしれない。


Greek and Roman writers say these people  (usually, but perhaps not always, men) had great power in Celtic society.

ギリシャとローマの著述家は、これらの人々( たいていは、おそらく常にではないだろうが、男性 )は、ケルト社会で、大きな権力を持っていた、と述べている。


They paid no taxes or tributes, and their duties also included healing, divination, judging, teaching the young, and keeping the calendar;  in short, they were the educated class of their society.

彼らは、税金や年貢を納めず、彼らの義務は、また、ヒーリング(癒し)、占い、裁判、年少者を教えること、そして、カレンダーの機能を維持することを含む; つまり、彼らは、彼らの社会における、教育を受けた階級であった。


Druids may even have worshiped different gods from the ones worshipped by the common people.

ドルイドは、一般の人々によって崇拝された神々とは異なる神々を崇拝さえしたかもしれない。




  








2025年8月13日水曜日

「私が好きな”の”は、~です」は、日本語の『強調構文』

 以前、ラーメンチェーン店の「野菜たっぷり麺」のテレビCMで、出演者が、

「私が好きな”の”は・・・・・」

と言う場面がありましたが、この表現が、英語の『強調構文』に対応しています。


 「私は、~ が好きです」という平坦な表現の文の中で、

”~” を強調したい場合は、

「私が好きな」という情報を”の”に付けて、

「私が好きな”の”」 = ”~”     というイコールの関係を用いて、 

”~” の部分が強調されます。


 ただ、この”の”そのものには、中身がありません。

しかし、”の”が無ければ、「私が好きな」という情報をくっ付ける対象がありません。

”の”は、大気中の水分をくっ付けて雨粒を作る核になる、塵のようなものです。


 この”の”が、英語の『強調構文』の "It" に当ります。

Afghanistan に、 Buzkashi(ブズカシ)という、大勢の騎手(Chapandaz チャパンダーズ)が、一斉に馬で駆けながら羊の毛皮を奪い合う競技があり、他の騎手から強引な手段で毛皮を奪ったり、揉み合いの中で落馬する騎手もいるほどの、荒々しいものですが、

このBuzkashi をテーマにした映画 "The Horsemen"(「ホースメン」)に、茶店で、老人が、周囲の人々に、昔見たBuzkashi の名騎手について語る場面があり、そのセリフが、


"It was there that I saw the finest chapandaz who ever lived."   というもので、

「わしが、これまでに生きた最も優れたチャパンダーズを見たのは、まさにそこだった」


このセリフは、

It was there  /  that I saw the finest chapandaz who ever lived.

のように区切って語られ、


前半の "It was there" は、一気に言い、

一息おいて、

後半の

”that I saw the finest chapandaz who ever lived”

の部分を、老人は、感嘆のあまりに頭を振りながら、歌い上げるように喋るのです。


 つまり、文全体は、

"It was there"  と  "that I saw the finest chapandaz who ever lived" のように二分されていて、

"that・・・・" の部分は、there を強調するための情報になっています。

また、この情報の部分が、話者が自分なりの思い・熱意・感情を込めて語りたい部分です。


 前半の "It was there" は、その情報を盛り込むためのフレームですから、アッサリと語られます。


 元の、

I saw the finest chapandaz who ever lived there. 

「わしは、そこで、これまでに生きた最も優れたチャパンダーズを見た」


という平坦な文のうちの

"there" を際立たせるために、

"I saw the finest chapandaz who ever lived" という情報を用いるのですが、

この情報をくっ付ける相手が "it" で、"It" そのものには中身がありませんが、

"It" が無ければ、(that を用いて)情報をくっ付けて、情報を強調の手段として用いることが出来ません。


It ( that I saw the finest chapandaz who ever lived )   was   there.

S                                                                                                            V          C


という、「・・・の情報の持つ”の”は、C である」という構造になっています。


( ”that I saw the finest chapandaz who ever lived” が 、It に付いて説明するので、

"that I ・・・・・" は『形容詞節』、that は『関係詞』ということになります。 )


2025年8月9日土曜日

「おととい来やがれ」という江戸っ子のセリフは『仮定法』の発想 -----『仮定法』が難しそうに見えるのは、簡単だから?(2)

 かつて、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われましたが、

江戸時代の雰囲気が残っていた頃の東京の浅草で育った、 時代小説家の池波正太郎氏の回想記によると、

若いころ、東京の鳥鍋屋の一部屋で、親友と鳥鍋を食べていたら、突然、部屋の襖が荒々しく引き開けられ、以前に因縁のあった中年の男が、若い男を二人連れて仕返しに現れたので、咄嗟に卓上の煮えている鍋を、男の胸に(顔に、ではなく)投げつけて部屋を走り出、友人も、驚いている相手に向かって「間抜けめ、おととい来いっ」という捨て台詞を投げつけて部屋を飛び出て、先に表に出て鳥鍋屋の塀の陰に居た池波氏が、友人を追って来た若い男二人を、手近にあった大きな塵取りで叩いてひるませた、とのことでしたが( 池波氏によると、「江戸の喧嘩」は、字義の通りに、口で華々しくやり合うもので、そこへ刃物などを持ち出したら、江戸の喧嘩ではなくなってしまう、とのことでした )、

「おととい」という「過去」の時間にさかのぼって「来る」ことは不可能なので、

「おととい来い」、「おととい来やがれ」は、

その「来る」という”うごき”を実現させることは不可能なことを承知したうえで、

「できるもんならやってみろ」という、相手に対する挑発、からかいのニュアンスを持っています。


 同じ発想から、英語でも、

「過去にさかのぼって、新しい“うごき”を実現させることはできない」ことから、

『過去形』が「”うごき”の実現が不可能、あるいは、実現性が弱い」ニュアンスを持つようになり、

ついには、動詞・助動詞の「カタチのうえでの過去形」を使って、「現実の世界」とは別の「仮定の世界」を表現するに至ったのが、『仮定法』です。


 したがって、「仮定の世界」では、

『現在形』は「カタチの上での過去形」であり、

『過去形』は、「”過去の前の時間”を表す単独の語形」が無いので、

やはり「カタチの上での過去形」が使われます。


 「仮定の世界」では、動詞・助動詞の『現在形』も『過去形』も、ともに「カタチの上での過去形」なので、

「仮定の世界」でも『時制の一致』は発生するのですが、

「現実の世界」では、『現在形』と『過去形』が、多くの場合、語形が異なっているために、『時制の一致』がはっきりとわかるのに比べると、

「仮定の世界」では、一見、『時制の一致』が起きていないように見えます(聞こえます)。


 たとえば、

Astronomers said, "If the Earth were in Neptune's orbit, it would be too cold for us to survive."

「”仮に、地球が、海王星の軌道にあれば、気温が低過ぎて私たちは生存できないだろう”と、天文学者は言った」

の場合、said が示すように、発言は『過去』においておこなわれていても、"・・・” の発言は、発言者が『現在』にいるつもりで話しているので、

were = 「仮定の世界」の『自動詞』の『現在形』

would =「仮定の世界」の『助動詞』の『現在形』

です。


 "  ” を外すと、

Astronomers said if the Earth were in Neptune's orbit, it would be too cold for us to survive.

のようになって、

"・・・" という中身が、   "『過去』 の時間のなかへ放り出される” ので、

were =「仮定の世界」の『自動詞』の『過去形』

would =「仮定の世界」の『助動詞』の『過去形』

に変わります。