1.no more
no は強い否定で、more を否定しています。
「 ~ 以上ということは、まったくない」
2.a fish を補うと、
A whale is no more a fish than a horse is ( a fish ) となって、
「 馬が魚であるよりも(より高い程度に)クジラが魚であるということは、まったくない」
3.そして、ここが肝心なのですが、
no more の no が否定しているのは、more です。
「馬が魚でないように、クジラも魚ではない」のうちの、
「クジラも魚ではない」の否定の内容は、 no によるものではありません。
「クジラも魚ではない」の否定は、
a horse is (a fish ) から来ています。
a horse is ( a fish ) は、明らかに間違いだとわかる内容だからです。
「クジラが、馬よりもより高い程度に魚である(魚に近い)ということは、まったくない」
↓
「そもそも、馬は魚ではまったくない」
↓
「馬が魚ではないように、クジラも魚ではない」
「馬もクジラも、魚ではない」
(実例)
この表現は、「クジラ構文」などと呼ばれるので、特殊な構文のように思われがちですが、
S V no more A than B
の B に、「明らかに非常識な内容」を持って来て、
「非常識な B よりも高い程度に A が成り立つことはない」、
「非常識な B が成り立たないのと同様に、A も成り立たない」
という明快な構造なので、よく使われます。
次は、”Jurassic Park” の作者である Michael Crichton が、
Harvard Medical School(ハーヴァード大学医学大学院)で、初めて anatomy (解剖学)
の講義を受けた時、教授が学生たちに語った言葉です。( "Travels" より )
You can no more become a good doctor
without a thorough understanding of anatomy
than you can become a good mechanic without opening the hood of a car.
自動車のフード(ボンネット)を開けることなしに優秀な整備士になれる、
というのは、明らかに非常識な内容で、
それよりも高い程度に、
解剖学の徹底的な理解なしに優秀な医師になれるということが、成り立つことは、
まったくない、
ということになります。
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