( Methuen & Co. Ltd, London )
Our armament and equipment were at that time relatively primitive.
私たちの兵器と装備は、その当時、かなり旧式だった。
We flew mainly without radio: it was regarded as a dispensable luxury, especially as it did not yet function very well, so we flew by sight and communicated by signs.
私たちは、たいていの場合、無線機を積まないで飛んでいた: 無線機が、無くても済む贅沢品と考えられていたのは、特に、無線機がまだあまり良く機能しなかったことが理由だったが、そのために、私たちは、目視で飛び、サインで意思疎通をしていた。
Our He 51s carried six 10-kg. splinter bombs inside the fuselage, and were armed with two machine guns, which had to be reloaded by hand after each burst---very different from the subsequent electro-pneumatic apparatus fired by press-button action---and on reloading you usually cut your knuckles open on one of the many obstacles in the unbelievably confined space of the overheated cockpit.
私たちのハインケル51は、10キログラムのスプリンター爆弾を六個、飛行機の胴体の中に携行していて、二挺の機関銃で武装されていたが、その機銃は、弾丸を撃ち尽くすたびに、手で装填されなければならなかった---後の電気・圧搾空気を用いた、ボタンを押して発射させる仕組みの機関銃とは、まったく違っていた---し、再装填するときは、たいてい、熱気のこもったコックピットの、信じられないほどに閉じ込められた空間の中で、多くの障害物によって、手の関節を、皮膚が裂けるほどに切った。
* He 51: Heinkel 51 複葉の戦闘機
* splinter bomb: 細かい破片を四散させる小型爆弾
* electro-pneumatic apparatus: 電気信号により、圧搾空気で機関銃が作動
( 爆弾も、電気信号と圧搾空気で投下 )
* the unbelievably confined space of the overheated cockpit
He 51 は、多くの複葉機のように、( 新世代の単葉機のような、密閉型のコックピットではなく、)開放型のコックピットでしたが、BMW製の空冷12気筒エンジンの発熱量が多く、その熱が、すぐ後ろの操縦席へ吹き流され、しかも排気管が操縦席の近くにあったために高温の排気ガスが操縦席に流れ込み(後に、排気管の形状を変えて対応)、狭い操縦席には、かなりの熱気がこもったようです。
On hot days we flew in bathing trunks, and on returning from a sortie looked more like coalminers, dripping with sweat, smeared with oil and blackened by gunpowder smoke.
暑い日には、私たちは水泳用トランクスを着て飛び、一度の出撃から帰って来たときは、汗を滴らせ、オイルで汚れ、火薬の煙で黒くなって、むしろ炭鉱夫のように見えた。
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