2025年9月26日金曜日

done・doing・to do は”見えません”-----現在形・過去形は”見えます”が  英語は実はかなりシンプル(5)

 done『過去分詞』、doing『現在分詞』、to do『不定詞』が、

『主語』の V「うごき」を表すには、

『主語』に接続しなければなりません。


ところが、done、 doing、 to do は、

「時間の流れ」の”外”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』には、

そのままでは接続できません。


『動詞・現在形』do (does)、『動詞・過去形』did は、

「時間の流れ」の”中”にあるので、

「時間の流れ」の”中”にいる(ある)『主語』に、そのままで接続します。


 この事情を”可視化”するために、

これらの「動き」( V「うごき」の"素<もと>" )を、

「ボール」にたとえてみます。 


「時間の流れ」を「川の流れ」にたとえると、

『現在』は、そのうちの ”a地点 ~ b地点” の範囲で、

『主語』は a地点にいて、ゴムボート( スピードは出ませんが、流れるだけなので)に乗って、浮かんでいます。

『主語』の隣にボール(ヨガボールなら直径45センチくらい。もちろんサッカーボールでもかまいません)が浮いています。

ゴムボートは、『主語』を乗せて流れ、

ボールも流れます。

同じ流れに浮かんでいるので、流れる速さは同じです。

したがって、『主語』には、ボールがどのくらいの速さで流れているか、わかりません。


『動詞・現在形』は、

元々は、「時間の流れ」の外にあった『動詞・原形』ですが、

「時間の流れ」の『現在』の領域に来て『動詞・現在形』になり、

『主語』がボールに手を載せて、『主語』とボールが繋がって、ボールは『主語』の V「うごき」になります。


『動詞・現在形』が、ボールとして実体化しているのは、

「実現可能性」がある範囲で、b 地点までです。

b地点を超えると、実現可能かどうかわからなくなり、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・現在形』will によって推測することになります。)


『過去』も、”a地点 ~ b地点” が、「時間の流れ」の上流へ移動するだけで、

他は同じです。

「実現可能性」がある間は、ボールが実体化していますが、

b地点を超えると、ボールは消失します。

( b地点の向こうは、『助動詞・過去形』would によって推測します。)


 ここまでは、ボールは、『主語』から見えていて、V「うごき」として使う場合は、

ボールに手を載せて、繋がります。


 ところが、done、doing、to do のボールは、

「時間の流れ」の上にいる『主語』からは見えません。

「川の流れ」と違って、「時間の流れ」では、

『主語』の上流側にも下流側にも、ゴムボートの前後にスクリーンが取り付けられているようなもので、

スクリーンが『主語』と共に移動して、

「これまで」の領域も「これから」の領域も、見せてくれないからです。


したがって、

「これから」を流れ下るボールも、

「いま」を流れているボールも(ボールの速さは、『主語』にはわかりません)、

「これから」を流れ下るボールも、

「時間の流れ」の”外”(『時間の流れ』の”岸”の上)から見ることになります。

そこには、スクリーンが無いからです。


『主語』は、done も doingも todo も、直接に見ることができませんから、

まして、『動詞・現在形』、『動詞・過去形』の場合のように、

『主語』が、直接に手を載せて、繋がって V「うごき」にすることもできません。


 このように、「動き」を表すボールにも、『主語』から、

「見えるボール」と「見えないボール」があります。


 したがって、『主語』が done、doing、to do に接続して V「うごき」にするには、

何らかの方法で、

『主語』と done、doing、to do のボールが、繋がらなければなりません。


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