If it rains tomorrow, we will cancel the picnic.
「明日、雨が降るなら、ピクニックはやめにします」
では、
"tomorrow"と、「明日」の事態を述べているので、明らかに「未来」のことを扱っています。
それなのに、"rains"という、『動詞・現在形』が使われているので、どうしても、
「未来の動詞」 ”will rain” が、『動詞・現在形』"rains"で「代用」されている、
ように見えます。
しかし、"tomorrow" が表す「未来」は、
カレンダーや時計のような「時間のモノサシ」で捉えられる、「先の時間域」としての「未来」です。
そして、「時間のモノサシ」で捉えられる「未来」と、
「未来の動詞」"will rain" で扱われる「未来」とは、
まったく別のものです。
ここに、『時・条件の副詞節では、「未来の動詞」が「現在の動詞」によって代用される』という、不思議な文法規則が発生した原因があるようです。
未来の”うごき”を表すためには『助動詞』"will" が用いられ、
"will do" となりますが、
"will" のはたらきは、もともとは「推測」です。
つまり、はっきりとはわからない、自信を持ってこうだと判断できない事態を、「 ~だろう」と一応言っておくのが、will のはたらきです。
たとえば、空間でも水中でも、近くにあるものは、はっきり見えるので、「あれは、~だ」と断定できます。
したがって、 それほど遠くない海面上に黒いものがあって、形からクジラだと、自信をもって判断できるなら、
"That black thing over there is a whale."
と言えます。
ところが、もっと遠い、水平線の上に見える黒い点となると、自信を持って判断できないので、
"That black speck on the horizon will be a whale."
のように、
「あの、水平線の上の黒い点は、クジラだろう」と、
「推測」することになります。
( ただ、will が使われるのは、かなりの自信を感じている場合で、自信があまり無い場合は、
さらに「実現可能性」の弱い
might、could
[ 弱い実現可能性を表す助動詞・(過去形のカタチであっても、この例文では)現在形 ]
が使われます)
つまり、空間における「距離」と「自信の程度」の間には、ある程度の相関関係があって、
距離が近くて、自信を持って「あれは、~だ」と言える範囲と、
その向こうの、自信を持てずに「あれは、~だろう」と推測する範囲に分かれます。
「時空」という概念があるように、「空間」と「時間」は、奥行きがあるという点で、似ています。
「空間」を「時間」に置き換えると、
「空間」の場合と同じように、
「時間」は、
「それは A だ、と自信を持って判断できる時間の範囲」と、
「自信を持って判断できず、あれは A だろう、と推測するしかない時間の範囲」
とに分かれます。
かなりの時間を隔てているために、「先の時間域」において、ある事態が発生することを断言できず、「推測」するしかない場合は、
"will do" が用いられ、
「先の時間域」における事態であっても、そこでの「うごき」の実現を見込める場合は、
「推測の」の要素が無いので、
"do(動詞・現在形)" が用いられます。
つまり、「時間のモノサシ」のうえでは「先の時間域」(つまり未来)の事態であっても、
その事情とはまったく無関係に、
そこでの「実現の見込みがある”うごき”」は、
『動詞・現在形』do で表されます。
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