第二次世界大戦の最中、アメリカ軍はドイツ本国における部隊の配置を的確につかんで
いたそうですが、それを可能にしたのは、言われてみれば何でもないような、簡単な方法
でした。
ヨーロッパの新聞には、社交の欄があって、社交界のパーティーの情報が掲載されてい
るので、狭い地域や町の中だけで発行されているものも含めて、ドイツ中の新聞を集め、
社交欄を見ていくと、
「 離任する◯◯司令官の送別パーティー」( A新聞 )
「着任する◯◯司令官の歓迎パーティー」 ( Z新聞 )
との内容があるので、これらを合わせると、◯◯司令官の部隊がどこからどこへ移動した
かがわかるというわけです。
あまりに簡単な方法なので(交戦中の国の新聞を集めるのは大変だったでしょうが)、
ドイツの側が、街の社交の情報から軍事機密が漏れる可能性があることに気付かなかった
のか、不思議な気もしますが、
1871年に、プロイセン王を皇帝(ヴィルヘルム1世)に戴いてドイツ帝国が発足するま
で、幾つもの小規模な国に分かれていたので、新聞も小さな領域内の情報を扱うもの、と
いう固定観念がどうしてもあって、遠く離れた, もともとは他国だった土地の、しかも直接
には軍事には関係が無さそうな市井の情報を結びつけるという発想が、生まれ難かったの
かもしれません。
ずっと後のことですが、これと基本的に同じ方法を用いてアメリカ社会の動向を分析す
る話が、
"Megatrends" ( John Naisbitt ) のなかで紹介されています。
We learn about this society / through a method< called 'content analysis'>,
which has its roots in World War Ⅱ.
During the War, intelligence experts sought to find a method < for obtaining the
kinds of information < on enemy nations> [ that public opinion polls would have
normally provided ] >.
intelligence information(通常のルートで手に入る情報)を超える、重要な機密情報
/ public opinion poll 世論調査
* would have provided
** would 戦時に、敵国の機密情報を、世論調査をおこなって得る、ということは、
実際には有り得ません。
would は、カタチは will の『過去形』ですが、
『過去』にさかのぼって新たなうごきをすることは出来ないことから、
would という『過去形』のカタチを借りることによって、
頭の中にある、現実とは違う、有り得ない世界、を扱っている、ということを表していま
す。
著者は、『現在』に居て考えていますから、この would は『現在形』です。
ただし、著者がいる現実の世界の『現在形』ではなく、
頭の中の『現実に反する世界(仮想の世界、仮定の世界)』の『現在形』です。
『現在』において、有り得ないことが仮に起こったら、〜 するだろう、と考えています。
** have provided は、
have(助動詞)+ provided(過去分詞) で、
provided は、 「(これまでに)提供した 」という
『実績』を表し、
それを「持っている 」という内容の have と結びついて、
『現在』において振り返って、(以前に)提供したことがある、という内容を表します。
** would have provided は、以上から、
(仮定の世界で、)大戦当時、世論調査が仮に行われたとすれば、
(〜の情報を)提供しただろう、という、内容になります。
* 『仮定法』は難しいと敬遠されがちですが、要するに、
『過去形』のカタチ( 助動詞 had も含めて )を借りて、実現の可能性の無い、
或いは低いうごきを表す用法です。
『現実の世界』にも『過去形』があるので、
『現実の世界』と『仮定の世界』を混同すると面倒なことになりますが、
別々の世界の話、と区別してさえいれば、難しいものではありません。
ところで、
『英語はこうできている』という題のメルマガ(有料)を、『まぐまぐ!』様のネット
ワークをお借りして配信しています。
いろいろな英文を材料に、
とにかくこうだからこうなんだ、と既成の英文法を当てはめるのではなく、
どういう発想からそのような文法が生まれたのか、という観点から、
柔軟に英文を考えることを目指しています。
『となりのトトロ』でトトロが登る、信じられないような巨木も、
上から見下ろすと、てっぺんの無数の細い枝が、下の大枝や幹とどのように
つながっているのか、まるでわかりませんが、
樹を下から見上げれば、幹からどのように大枝が分かれて、さらにその先で小枝に分岐して
いるか、よくわかります。
英語も、出来上がった英文法を外側から見ると、複雑怪奇ですが、どのような発想でつ
くられているのか、という観点に立って内側から見れば、
文法事項どうしの関連がつかめて、意外にわかり易いのではないかと思います。
目下、扱っている題材は、
(A) "Under a Crimson Sun" ( David S. Stevenson )
赤色矮星の惑星での、生命発生の可能性について
生命が発生しそうな惑星の探索は、かつては太陽に似た大きさの恒星(黄色矮星)を対
象として行われていましたが、
赤色矮星に探査範囲を広げたら、生命発生の条件を備えた惑星が続々と見つかりました。
赤色矮星は、宇宙ではもっともありふれた星なので、
生命のいそうな惑星の数は、今後、飛躍的に増えそうです。
”Under a Crimson Sun" は、小さく(最近見つかった、600光年彼方のものは、
土星くらいの大きさのようです。つまり、木星よりも小さな恒星です!)、
低温で、光度も低い赤色矮星は、
あまりにも地味な星であるために、目立たなくてよくわからないのでかえって気になる、
という程度の動機で読み始めたのですが、
生命探査とのかかわりでこのように注目されるようになるとは思いませんでした。
(B) Breaking the Limit ( Karen Larsen )
: One Woman's Motorcycle Journey through North America
著者が、Harley Davidson Sportster 1200 で、New Jersey から Alaska まで旅した
記録です。
20世紀前半のアメリカの絵画で、荒野を通る道路の、舗装路面の端に出来た罅(ひ
び)だけをクローズアップして精密に描いた『大陸横断ハイウェイ』という作品があって
(『新日曜美術館』でたまたま見かけたのですが、残念なことに、作者の名前を覚えてい
ません)、数十センチ四方の乾燥しきった路面が描かれているだけなのに、
その路面が広大な大陸の遥かな遠方までつながっているということを一種の感傷とともに
実感させている、アメリカそのものを中性子星のような超高密度でその画面に凝縮したよ
うな、衝撃的な作品でした。
大陸の、生身の人間にとっては無限と思える広がりが移動への衝動を引き起こすのか、
アメリカには、プロの書き手だけでなく、一般の人によるものも含めて、多くの紀行文が
あって、
John Steinbeck の ”Travels with Charley in search of America" ( Charley
は、旅に同行した犬 )や、
William Least Heat-Moon の ”Blue Highways Journey into America"
( 幹線道路の裏道が、当時の地図では、青い線で表示されており、その裏道 [ blue
highways ] を辿った記録 )
など、America の大地や人の息づかいを感じさせるものが多いのですが、
"Breaking the Limit" の特徴は、著者がバイクで旅をしたことで、時には苛酷なその土地
の風土のなかを、むき出しの身一つで移動するライダーは、自動車のボディとガラスで風雨
から守られて旅をする場合に比べて、刻々と変化する周囲への感覚が鋭敏になるようで、
長時間のライディングの孤独感から来る、出会う人々への鋭い観察眼にも裏打ちされて、
文章には独特の臨場感が溢れています。
ネットで知って発注し、アメリカから届いたハードカバーの本の内側には、
" DISCARDED MONROE COUNTY PUBLIC LIBRARY " (廃棄処分)
のスタンプがあって、あまり広く読まれた形跡が無いのですが、
この本は、掘り出し物だと思います。 ( Monroe County, Indiana )
(C) JUSTICE ( MICHAEL J. SANDEL )
イギリスと日本には『島国』という共通点がある、というのは、
実は世界地図を見ての錯覚で、
たしかに双方とも、地図では、海を表示する青い色に囲まれていますが、
ドーバー海峡は、時々泳いで渡る人もいるくらいですから、船で渡ることは容易で、
ローマ帝国は、一時、スコットランドの南限近くまで進出していました。
つまり、イギリスとヨーロッパ大陸の間の海は、地中海のような海のハイウェイであ
り、イギリスは、実はヨーロッパ大陸とハイウェイでつながっている、大陸国家だという
ことになります。
輸送の効率を考えると、なまじ陸続きで、重くかさばるものを多数の荷車で延々と運
ぶよりも、間に水域があって、船でいっぺんに運べる方が、便利とも言えます。
一方、日本列島は、大陸とは荒い海で隔てられていたので、大陸との頻繁な交流は無
く、大陸から大勢の人間が侵入してそれまでの住人と入れ替わる、ということは、大きな
規模では発生しませんでした。
したがって、日本列島は、地球上の他の地域から隔離されて、住民が、遠い古代から
代々暮らしを引き継いで来たという、世界的にも珍しい場所で、
古代からの代々の生活がずっとつながっている、という意味では、もっとも古い歴史を
持っている場所、と言えると思います。
これは、たまたま辺境の、しかも孤立した環境にあったので、結果としてそのように
なったということです。
集団的な記憶や意識というものがあるのかどうかは、まだわかりませんが、災害に際し
て、世界の他の地域ではありがちな暴動や略奪が発生せず、むしろ自発的に救援の活動を
する人が多いことは、長い代々の暮らしのなかで次第に形成された、なんらかの意識が、
人々の間に共有されていることを示唆しているのかもしれません。
これは世界的に見て稀な現象なので、賞賛されることもある反面、
日本人は従順過ぎる、とか、命令されなくても整然と行動して昆虫みたいだ、などと、
批判的に見られることもあります。
災害が起こったら、まず、街角に完全武装の兵士が立って治安を確保しなければならな
い、 という地域が珍しくないので、暴れない日本人がむしろ異様に見える、ということか
もしれません。
日本に暮らしている人間の通常の感覚からすれば、他人になんとかしろと要求して暴
れても、社会にマイナスのエネルギーを発生させて、結果的に自らの足を引っ張るだけで、
それよりも、皆が協力すれば、プラスのエネルギーが集まって、それだけ復興が早く進
む、と考えるのが普通ではないか、思われますが。
ともかく、
良いにしろ悪いにしろ、日本はそのような、世界でも例外的に長く続いた生活の歴史
の中で形成された集団意識が機能しているように思える社会なので、
社会的な合意も、意識的に議論されて、その結果として形成される、というよりも、
なんとなく、おのずから、出来上がってしまうというところがあり、
そのような精神風土とはいわば対称的な、
"Justice" のなかで展開されている、テーマを緻密に分析して本質に迫って行く手法は、
なかなか刺激的で新鮮だと思います。
2018年9月12日水曜日
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